ごあいさつ
特定非営利活動法人 HLA研究所 理事長
「淳彦基金」代表  佐治博夫

淳彦くんはすばらしい男でした。友人たちへの思いやり深く、家族に優しく、勉学に励み、AML との闘病を明るく積極的に実行し、アメリカ骨髄バンク(NMDP)からのB座ミスマッチ移植に耐えました。再発後も悔いることなく闘病に励みましたが、今年のはじめ天運はかなく逝きました。神に愛されるものは早く逝くのでしょうか。ご家族は日本骨髄バンクへのご寄付とともに特定非営利活動法人 HLA研究所へもご寄贈を申し出られました。
 相談の結果「自費で賄わなければならない家族のHLA検査を経済的事情で充分に出来ない患者さんのために」援助するシステムを立ち上げることになりました。それが「特定非営利活動法人 HLA 研究所 淳彦基金」です。ご家族の寄付金を基にして、浄財を集めて基金を育てます。
 シンプルで患者さんが使いやすい「淳彦基金」を目指します。そのために最小限の規制と相互信頼で運営することをモットーにします。お申込みは「淳彦基金」か「淳彦基金を育てる会」へ、「頼みます」とひとこと、e-mailであれ、ファックスであれ、電話であれ、手紙であれ、どんな方法でもお知らせください。審査は基金代表者と「淳彦基金を育てる会」代表者とその顧問たちが相談して即決します。小さな単一目的の「淳彦基金」ですが、すでに活動を始めて、何人かのお役に立つことが出来ました。これからも小さな積み重ねを重ねて、社会の片隅でともし火を掲げてまいります。

 







白血病と勇敢に戦った歩
いつか再開するとき胸をはって話ができるように
元患者父 国越浩二(仙台)

 白血病と勇敢に戦っていた歩が、我が家からいなくなって6ヶ月以上が過ぎました。明るい彼の声がしない食卓や、お風呂に一人で入る時に(たった2人の男同士だったのに!)やはりもう彼はいないんだな。と実感します。時間がたっても決して楽にはならずにじんわりと沈んだ感情がより深くなっていきます。日を追うごとに、苦しさは増していきます。家の中には彼の使ったものはもう殆どありません。お友達におもちゃなどは差し上げ、ランドセルなどは貧しい子供たちの国に寄付しました。病院で同病で戦った友人たちも多くが今は歩と天国で遊んでいます。やはりこの病気は今もって大変厳しい状況です。
 この病気との戦いでで私は多くの取り返しのつかないものを失いました。しかし得たものもあります。それは他人の悲しみ、苦しみをわが身の事として感じ取る事ができるようになった事です。大きなことができるわけでもありませんが、これからも細く長く、今も病気で苦しんでいる人達の一助になりたいと考えています。私はそれが無念に生半ばにしてこの世を去った者たちに対する、今生きている者の責務だと思っています。
 勇気を持って病気と戦った息子達といつか再会するとき胸をはって話ができるように!いままで「基金」にご協力いただいた心あるたくさんの皆様方ありがとうございました。大変感謝しています。そして今後とも末永くご協力よろしくお願いいたします。


 

國越 歩くんのこと・・・そして
現仙台市立旭丘小学校 元院内学級担任 長江佳子

 歩くんは、とても感性豊かな男の子でした。
 国語の授業で、問題作りをするのをとても楽しみにしていてくれました。
ちょっとこちらが困るような難しい問題を考えて、悩むのを楽しんだり、答え方がいいと「いい答えだね」と誉めてくれる子でした。
批評する力もありました。だから誉められると、嬉しい思いがいつまでも相手の心に残るのでした。
 家族が入院すること、看護すること、自分の生活を守ること、家庭を守ること、そういった様々な困難と向き合った経験をなさったお父さん、お母さん、そしてお姉さんの日々を思うと、病気は本当に過酷だと思います。私の母も急性骨髄性白血病でした。その経験が院内学級では、生かされたと思います。どうぞ、関る人全てで、病気で入院した本人とその家族を支えましょう。
 院内学級の役目も、医療と教育が連携することで、子どもたちにより良い環境で過ごして欲しいという願いから動くようにしています。学校にできることは、ほんの一握りのものですが、皆さんの温かい思いやりは大きく世の中を動かしていくことと思います。
 「淳彦基金」を通して、幸せを取り戻す家族が増えることを願ってやみません。  歩くんが、私たちに教えてくれたこと。「一人の力が大きな力になる」ことを、実践して行きましょう。


                  







クリスマスに寄せて
2005年12月 真帆 父・母

もうすぐクリスマス。
12年前、クリスマスを待ちながら真帆は無菌室のなかにいました。
どこのどなたかもわからないドナーさんから骨髄液をいただいてがんばっていたのです。

ベッドの真帆から見えるように ガラス窓に飾った可愛いクリスマスツリーがまたたいてガラス窓から真帆を見守るみんなが そして誰よりも真帆自身が感謝と祈りをこめて クリスマスを待っていました。
みんなの祈りがひとつになって それはそれは素晴らしいクリスマスでした。

今もきっと 患者さんのお父さまお母さま おじいさまおばあさまごきょうだい、そしてお友だち そしてなによりも患者さん自身がどんなにか熱い祈りをこめて クリスマスを待っていることでしょう。

12年前、真帆が病床から始めた骨髄バンク推進のための運動。マホちゃんコースは、そこに寄せられた多くの方々からの寄付金をもとにして淳彦さんのお母様が開設してくださったものです。

「ひとりでも多くの患者さんが元気になるように」という願いはひとつ。
12年にわたって寄せられてきた、心優しい人々からのご寄付にこめられた祈りは時空を超えて今の患者さんたちを守ってくれるにちがいありません。

心優しい皆さんから寄せられた祈りにあの日の真帆と私たちからの熱い祈りを添えて患者さんにお届けしたいと思います。
 
患者さん、そして患者さんを愛し見守る方々のクリスマスが 今年も 来年も そのつぎも またそのつぎもしあわせなクリスマスとなりますように!











完治したら、病気になってできなかったことや
やりたかったことに挑戦したい
2002年2月18日 



 6年生の三学期の初めに、急性リンパ性白血病にかかってしまいました。病院に行ってから、すぐに闘病生活が始まりました。抗がん剤治療をした後かならず、アイソレータに入ったら、生物が禁止になるの一番いやだった。
 移植をするために、家族のHLAの検査をうけました。結果は、弟と妹が私とHLAの全部があって、弟からもらうことになり、7月に末梢血細胞移植をすることになりました。移植をする前に前処置をしました。7月12日に移植をしました。移植をして、2ヶ月で退院することができました。退院できるとき、すごくうれしかった。退院したてのころは、1週間に1日だった通院が、今は2週間に1日通院しています。退院できて、うれしかったのは兄弟の顔を見たり、かわいい犬と散歩ができるし、友達と遊んだり、買い物に行ったり出来るから毎日が楽しいです。でも一番嬉しかったのは、闘病生活が終わったことです。移植してから2年で完治になります。私は、2001年に移植をしたので、2003年に完治します。完治したら、病気になってできなかったことや、やりたかったことに挑戦したいです。
 最後に、両親をはじめ病院の先生や看護婦さん、そしてたくさんの方々に真心をいただき感謝しています。本当にありがとうございました。








移植治療で元気になった子どもたち
−感謝の気持ちで一杯の報告−
大阪の移植医

2001年の夏、ほぼ同じ時期に二人の子どもが、「HLA研究所」と「淳彦基金」のお世話になりました。一人は白血病の女の子、一人は骨髄異形成症の男の子です。 二人とも難しい病気の説明を理解できる年齢で、病気を治すためには移植が必要であること、移植を行うためにはHLA一致ドナーが必要であることなどの説明を真剣な眼差しで聞いてくれました。
 HLA研究所の迅速な検査結果から、幸いにして二人とも、それぞれ弟、妹がHLA一致であることがわかりました。二人のご家族は、どちらも家族全員が支え合うことのできる暖かいご家族でした。移植という大きな治療を前にして不安で一杯の本人やドナーの幼い弟、妹は家族の暖かい愛に支えられて、無事に移植を行うことができました。二人ともGVHDなどを発症したため、移植後の経過はけっして平坦ではありませんでしたが、現在は元気に外来通院中です。
 この二人は今年のクリスマスと来年のお正月を家族全員で楽しく過ごすことでしょう。移植という治療は楽な治療ではありませんが、家族をはじめ多くの人々に支えられて、二人の治療をうまく行えたことは本当に感謝に堪えません。
 さて、素晴らしい治療とはいえ移植が非常に高額な治療であることも忘れてはならないことです。子どもたちは公費の援助などを受けることができるので、大人の方々よりは経済的な負担が少ないとはいえ、HLA検査など自費でまかなう部分も少なくありません。この二人のHLA検査の費用について「淳彦基金」から援助を受けることができたことは、主治医も心から感謝しております。本当に有り難うございました。「淳彦基金」が、今後ますます移植を受ける方々のサポーターとして発展されることを期待しております。








「淳彦基金」設立によせて
九州大学生体防御医学研究所付属病院
体質代謝内科教授 谷 憲三朗
(元東京大学医科学研究所附属病院 主治医)


 この度の淳彦基金の御設立、心より感謝申し上げます。
今でも淳彦君が病床で治癒への希望を棄てず御自身と御家族の未来を見据えて、多くのつらい治療にも不満をもらすことなく、たんたんと向かっていらっしゃったときの眼の輝きを鮮明に思い出します・・。その御意志の強さと周りを思いやる優しい心に私も多く勇気を授かりました。
 我々医療者も多くの困難を克服し、より効果的でより患者さんに優しい治療法を開発していく努力を、未来をじっと見据えながら、今後も重ねていこうと思っております。
 淳彦君というすばらしい御令息様を亡くされた御家族のお哀しみはつきることはなく、このような状況の下で、白血病に苦しまれている多くの同胞の方への基金を募って頂きます御誠意に深甚なる敬意と感謝を申し上げます。 











「淳彦基金」を育てます
淳彦基金を育てる会 代表 勝木敬子

勝木淳彦は急性骨髄性白血病と闘いました。 
夢に届かないことが多かった
そんな思いをしている人に
自分の力を分けてあげたい
何故なら、夢を実現すれば 
幸せになることが分かっているから
他人の夢が実現することが
自分にとっても嬉しいことだと知っているから
「助け合い」の心を皆に伝えたい
こんな言葉を遺して、私のたった一人の大切な息子は旅立ちました。
学ぶ事の好きな26歳の大学院生でした。
再発してしまった彼は最期まで将来の夢を語り続け、一日一日を精一杯生き抜きました。
はにかんだ笑顔の淳彦を思い出すたびに、悲しい気持ちで胸が一杯になります。
まだまだ諦めきれずにいます。

   一人でも多くの患者さんが一番合ったドナーさんから
   一番良い時期に骨髄移植を受けられるようになって欲しい


彼の夢でした。「夢」を実現したいのです。
お世話になったHLA研究所に「淳彦基金」を作らせて頂きました。
一人でも多くの患者さんの「夢」を叶えさせていただきたいのです。
「助け合いの心」を皆様にお伝えしたいのです。
今は小さな基金です。大きく育てて、もっと多くの夢を叶えたいのです。
どうぞ、「淳彦基金を育てる会」にお力添えくださいますようお願い致します。
 
ご寄付のお願い 
1口 1,000円(何口でもかまいません)
振込先口座 郵便貯金 記号10050 番号72479181
     名義 HLA研究所勝木淳彦基金を育てる会 
    淳彦基金を育てる会
 事務局 住 所  東京都立川市柴崎町3−5−27
     電 話  042−523−0571
     Fax  042−524−3311
E-mail  pochit@mub.biglobe.ne.jp 
     









「淳彦基金を育てる会」規約

目 的: 本会は「特定非営利活動法人HLA研究所淳彦基金」の運営と資金の調達を目的とする。

名 称: 本会は「淳彦基金を育てる会」と称する。

事 務 局: 高田商事株式会社内におく。

役 員: 代表1名、副代表1名、理事1名、会計1名。

役員の任務: 代表は会を代表し運営する。副代表は代表を補佐し、代表が不在の時はその任務を行う。会計は会の財務を担当する。

運 営: 「HLA研究所淳彦基金」の財務部門を担当し、基金の育成と患者家族の財政的援助を行う。

付 則: 代    表:勝木敬子
副 代 表:高田智恵子
理    事:国越浩二
       清水透
       清水あつ子
会    計:萩原仁美
事務局員:山口恵







HLA研究所とは

骨髄移植や臓器移植にHLA適合性が重要な役割を果たすことは良く知られています。 HLAとはヒトの組織適合性抗原でまたの名を白血球抗原とよばれます。HLAは移植医療以外にも疾患感受性(病気になりやすさ)の診断にも使われ予防医学の発展に寄与します。医療におけるその重要性はますます高くなろうとしていますが、その著しい「型」の多さと、複雑な分類様式は、検査・研究とその評価に、高い専門性を要求します。経験の深い専門医でさえ、HLA専門家の助言を求めるのが常です。そのような状況を踏まえ、長年HLA研究に従事した技術者集団が京都免疫研究会やボランティアの支援を受けて、次のような機能をもった研究所を設立しました。

@ HLAおよびその他の組織適合性に関する相談業務、および研究並びに研究者の技術的援助
A 移植医療に必要なHLAおよびその他の検査受託
B HLAの知識普及に必要な広報事業および教育活動