『患者家族学?』
弟が白血病になって学んだとこと
2004年8月

私の弟は2002年9月に急性リンパ性白血病を発病し、発病から5ヶ月目の翌年2月に私との2座ミスマッチ造血幹細胞移植をして、やっと1年半たちました。二人姉弟の弟が白血病という死をも覚悟しなければならない病に罹ってから私が知って良かったと感じたいろいろなことをまとめてみたいと思いました。白血病の治療に関しては日々目覚しく進歩しているので主に精神的なことや対人関係について記してみたいと思います。
これは、あくまでも私の私見ですので、ご了承のほどお読みくださいますようお願いいたします。m(__)m

私は患者家族
白血病という病気は患者だけではなく家族全体で抱えこまなくてはならない病気だと思いました。患者家族は「第二の患者」とも言われるそうですが、時には患者よりも深く傷つき悩み苦しみます。なぜなら患者を大切に想いながら自分のことや周囲のことも考えなくてはならないからです。

患者本人である弟が一番辛いのだから、家族が弱音など口にしてはいけないと思って自分の中の想いを吐き出さず我慢した時期があります。“患者が一番辛い”それはそうだと思います。しかし患者がストレスを感じている時などは家族はそれ以上のストレスを感じ、患者が抑うつ状態になった時の家族は、更に抑うつの状態が増すと感じてきました。弟が怒りを表すと私はそれ以上に腹立たしく、弟が涙を流すと弟の辛さを思う悲しさと私自身の辛さで更に悲しくなるのです。

また、私が落ち込むと弟は寡黙になり、両親が悲しむと弟も抑うつになる…。家族の精神状態が大きく患者へ影響するのを幾度となく感じ、患者と家族は常に密接な相互関係を保ちながら闘病期間を過ごしていくのだと感じてきました。


現在、白血病の患者を持つ“家族に対してのサポート組織”を私は知りません。
家族が精神的に辛く耐えられない自覚症状が出た時に精神科の受診をすすめられたご家族がいらっしゃいますが、なかなか足を運べないものだとおっしゃっていました。主治医は適切なアドバイスをされたのだと思いますが、看病している家族が精神科のお世話になっていることが患者に知れることが怖いと思われているご家族はまだまだ多いのが現状ではないかと思いますし、私もそう思っていました。でも現在は少し違います。

先日「ガンを治す完全ガイド」という雑誌の記事に、国立がんセンター東病院研究所の精神科を受診された、がん患者家族の方は2.4%に過ぎないとありましたが、この数字は今後きっと増え続けていくのではないかと思います。精神的にダメージを受けている家族がカウンセリングや投薬で精神的苦痛が軽減されるのならば大いに受診するべきだと思います。

だって、がん患者を抱えるって精神的に辛くて当たり前のことですもの。一人で抱えて我慢して心身ともに取り返しのつかないことになるよりも、受診することがポジティブな行動だと思います。(な〜んてこう思えるようになったのはつい最近ですが…)
でも、精神科を受診する前に同じ悩みを経験した事のあるサポートシステムがあるといいなぁ〜と思います。私は時々でしたが同じ立場(患者の姉)だった方へ愚痴を聞いてもらったり悩みを相談していました。私には彼女のやさしい声が天使のように聞こえたものです。それだけで癒されて救われました。


弟が発病した「急性リンパ性白血病」は発症時の年齢が30歳以上で診断時の白血球数が3万以上の場合は高リスクで予後が悪く、中でも「フィラデルフィア染色体」の異常が有ると生存率がかなり低いと知らされたとき、私は家で待つ両親へすぐに知らせることができませんでした。弟は染色体異常があることを医師から告げられていましたが事の重大さを認識してはおらず、明るく笑っていた様子に私は胸が潰れそうで病院から真っ直ぐ帰宅できず、友人の所へ胸中を吐き出しに行ったことがあります。

誰かに自分の胸の内を聞いてほしい。誰かに話せたら心の整理がつくのじゃないか…。どうにかして自分の気持ちをコントロールしなくっちゃ…。思い切り泣きたい! 私は思い切り泣かせてもらいました。でも、人前で泣いている自分が嫌でした。泣いたって何も変わらない。そう思うと今度は腹が立ってくるのです。「カワイソウな人」と思われて同情されていることに無性に腹立たしくなってしまいました。


病気の実態や患者の切ない姿を目の当たりにして、苦しみや悲しみで胸がキリキリ痛んでも家族は自分の気持ちをなかなかスムーズに言葉にできません。家族の置かれている状況を積極的に理解してくれる場もありません。患者家族は経済的な問題から患者の治療や将来に対しての不安、身体的負担、家族全体の機能のバランスも崩れ、患者の悩み以上の問題を抱えていることが少なくないと思いました。


私は弟の発病から退院するまで間、かなりの時間を病室の弟と一緒過ごしてきました。それは姉として可能な限りのことをしたい一心からで、それは私自身のためでした。私が後悔したくないから。一緒にいて精一杯のことをしてやりたかったのです。私の人生の中の短い時間を自分の家庭よりも子供達よりも、弟との時間を優先させることを咎める人がいても。

私がそう強く思ったのは義祖母の胆管ガンの看病の経験があったからです。私にとってはひどく辛い看病でした。結局、義祖母は発病後一年で亡くなりました。弟の発病から8ヶ月前のことです。主治医の意向をそのまま受け入れ、告知をせず騙すように手術を薦めた私へ怒りを露にし手術を拒否して最後はホスピスへ入所しました。最初からガンだと告知をして手術をしていたら助かる確率は高かったのに。

地方の病院ではがん告知をタブーだと思っている医師はまだまだ多いのです。主治医の「告知しないほうがいい」との言葉に私は深く考えず従ってしまったことを後悔しています。義祖母は途中で自分がガンだと知り激怒しました。そして嘘をついていた私を憎んでいたようでした。そんな経験がある私は自分の知識不足などでは絶対に弟を失いたくなかったのです。私が弟の闘病に関して気が狂ったように情報を集めたのは、そういう理由があったからでした。


弟の病気を私が代わってやれるものならどんなにらくでしょうか。一緒に泣いてやることで治るのならばどんなに簡単でしょうか。どのご家族も私と同じように思われるのではないかと思います。しかし、そんなことでは患者は救えません。なんと言っても医療のチカラを充分に尽くしていただかないと病気は治らないのです。自分の無力さに布団の中で声をたてずに泣いた日も少なくはありませんでした。


私にできることはなに?
泣いてばかりはいられません!姉の私にも何かできることはないのだろうか?医師や医療スタッフではなく家族である私に何か補えることがあるのではないだろうか。きっと私にしかできないことがあるはずだと模索しました。そして先ず最初に考えたのが弟への“精神面でのサポート”でした。弟の心の中の小さな不安をたったひとつでも軽減できたら、弟は少しでもラクになるのではないか?と思いました。私は白血病の本を読み、インターネットで患者の気持ちについて調べました。発病した弟は何を不安に感じているのかと思いを巡らせながら。


不安・・・
弟は「白血病って治るんだってさ!」と言いました。化学療法が始まった時には「抗癌剤ってハゲになるんだよね?」と聞きました。この言葉の裏側には抗癌剤などの薬剤や治療への不安、死への恐怖感が隠されていると思いました。死に至るかも知れない病に突然襲われた時、漠然とした不安感に包まれ、患者自身は病気の情報を入手する時間がありません。医師が充分な説明をしてくれても、それを理解する知識と受け入れられる精神状態ではないと思うのです。

理解できないことほど不安なことはないのではないか?と思った私は白血病について勉強を始めました。もちろん医学を学んだ経験もありません。でも、知識として学びたいと強く思いました。

病気の種類、治療方法、薬剤のことや副作用について、一般的にはどういう過程をたどるのか、その中で実際に弟に対して行われる治療法、また使用している抗癌剤や抗生剤、その副作用と治療効果を主治医の説明を受けながらなるべく細部まで理解し把握できるようにしました。後で知ったのですが、これを“知識のサポート”と言うそうです。

「なんで熱が出るのかなぁ?」とか「このブツブツは何なのかなぁ〜?」と弟が口にした時に「これはね、○○という抗癌剤を入れると最初は熱が出るのよ」とか「赤いブツブツは○○という薬の副作用よ、大丈夫、心配ないよ」というような会話で瞬時に答えてやることにより、弟の不安は(不安に思っている時間は)少なくて済むだろうと考えました。

この頃、弟は「死」ということが頭の中でグルグルしていたに違いありませんが、口にすることはありませんでした。でも拭い去ることのできない死への恐怖は孤独感があると増すと思った私は、「家族にできることは寂しくさせないこと」だと考え、面会可能な時間はなるべく弟と一緒に病室へいるように心掛けました。そしてどんな些細な変化も医師へ私から伝えました。


「お姉ちゃん、毎日行くのは大変でしょう?状態が良いときは行かなくてもいいんじゃない?」周囲の方から言われた言葉です。でも、私は連日病室へ通いました。「今日は来ないのかなぁ〜」と弟が思わないように。
大人だから「寂しい」とは言わないでしょうが、やっぱり寂しいと思うと思いました。特に面会者が限られている期間は他の誰かがお見舞いに来ることなどないのが分かっているのですから。
それに弟は「来なくていいよ」とは一度も言わなかったから。


どうして白血病になったの?

弟が発病してから両親は「なぜ白血病になってしまったのだろう?」としきりに口にし考え込んでいました。食生活かしら?睡眠不足だったから?携帯電話の掛けすぎ?海で怪我したから?出身が長崎県だから?仕事が忙しかったから?ストレス?アレコレ、アレコレ・・・?
白血病の原因はある特定の白血病(T細胞、ウイルス性の白血病)を除いては原因は不明だと言われています。それに仮にここで原因を突き止めたからといって弟の病気が治るわけではありません。

しかしながらいろんな本を読むと白血病を含む多くのガンはいろんな遺伝子の変化が長年に渡って積もり積もって起こる病気らしいとわかりました。人には、遺伝子がガン化してしまった「ガン遺伝子」と、ガンになることを抑制する「ガン抑制遺伝子」が存在しているそうですが、健康な人は「ガン遺伝子」が現れても「ガン抑制遺伝子」が文字通り抑制して発ガンには至らないけれど、細胞の分化や増殖などに関与している遺伝子が「DNA修復システム」(人にはDNAが傷ついても修復するシステムがある)に関わる遺伝子群に蓄積されて、いろんな段階を経てガンになるらしいということは分かってきたそうです。

つまりガンは “多くの遺伝子の変化が長年に渡って蓄積されて発生する病気”で、人々はみんなガンになる要素を持っているけど、元気な人はそのガンを抑制する機能が正しく働いている。でも、抑制システムが長い時間を経て利かなくなってしまった人はガンになるということらしいことを知りました。


ストレスでガン発生?
では、どうしてガンの抑制システムが利かなくなるの?
そこに「人の心の状態の影響」が隠れているらしいというのを研究している分野が「精神免疫学」や「精神神経免疫学」といい、多くの研究者がストレスなど人の精神的なものが遺伝子の変化(あるいは媒介する何かの生物学的機序)に関係しているのか?ということなどを調べていて、ストレスと免疫の関係として「心理的ストレスは免疫の状態に影響を及ぼす」ことを明らかにしつつあることを知りました。

ストレスが免疫に影響を与えるメカニズムは「ストレスとして脳に刺激がいくと、内分泌系ホルモンや自律神経系に影響を及ぼし、免疫のさまざまな機能に変化をもたらし、ガンになる!」ということになるのだそうです。簡単に言うと「ストレスはガンになる大きな要因」であるということなのだと私は再認識しました。

患者は病院生活でストレスがたまってきます。弟もイライラすることがありました。私は弟の闘病中のストレスを少しでも減らしてやりたいと思いました。そんな時 “ストレスと免疫の関係=免疫が低下するとガンになる”の逆も真なりではないかと思い「免疫機能を高めてあげれば白血病を抑制できる!」と私の中で勝手な理論が固定されました。それからは「弟の免疫力アップのために、どうすれば良いのか」を知りたいと思うと同時に、「いかにしてストレスを軽減するか」をも考えました。

食いしん坊の弟へのストレスの解消として一番に考えたのは食べたいものを食べたい時に用意することでした。「揚げたてのコロッケが食べたい」といえばコロッケ屋さんへ走り、事情を話してわざわざ一個だけ揚げてもらいました。「お寿司が食べたい」といえば走り、なるべく新鮮なネタを使って握ってもらえるようお願いをしました。「ココイチのカレーが食べたい」とのリクエストにはタクシーに乗って渋滞の道をイライラしながら買いに行ったことを思い出します。高いカレーでした(苦笑)でも、「うまい!」との一言に私も天にも昇るような気持ちになれるのでした。そして、食のストレス解消法を続け、免疫力が高まるよう願ったのです。(自己満足だったかなぁ)


ストレスって?

「ストレス」ってよく使う言葉ですが、漠然としすぎていてよく分からないので調べてみました。
人間の大脳にはボール状の扁桃体(へんとうたい)というところがあって、扁桃体には外の情報を伝達する働きをしている脳の神経細胞があります。この神経細胞には「心地よい」と感じる細胞と「不快だ」と感じる細胞があり、この細胞が不快に感じるとストレスとなるのだそうです。ちなみにストレスが原因でなる症状は心臓病、胃潰瘍、高血圧などがあると分かりました。

だとすると「不快だ」と思うことを少なくし、「心地よい」と思わせることを増やせばストレスは少なくできるし、免疫を高めることができるのです。心地よいと思わせるには「好きなことをさせる」そこで思いついたのが音楽でした。CDプレイヤーを買って好きな音楽を聴かせることから始めました。
そしてパソコン購入。面会が自由にできないと社会との繋がりが希薄になってしまいます。友人や子供達とメールをしたり、インターネットで好きなサイトを楽しめれば「心地よい」と思うこともキット増えると考えました。


免疫って?・・・調べてみると
ストレスによって低下する「免疫」とはなんなのだろう?
私達人間の身体には「自分の体内にあったもの=自己」と「そうではないもの=非自己」を認識する能力があります。自分の体内に異物である細菌やウイルスが侵入すると、自然と排除しようとする力が働き熱が出たりする機能、それが免疫です。だから、免疫が低下するとすぐ病気になってしまうし、治らないし、どんどん他の病気に罹ってしまうわけです。免疫の機能はとても大事な大事な人間の体のシステムなのですね。

免疫の本を数冊購入した時、驚いたことがありました。いろんな免疫学の本に書いてある多田富雄さんという名前を私はどこかで聞いたことがあるような気がしたのです。
2001年春、私は秋田の古い芝居小屋「康楽館」で人間国宝吉田蓑助一門の「文楽」を公演する企画を友人達と一緒にしたことがありました。本当は2000年の春に行いたかったのですが、蓑助師匠がお倒れになって一年延期された興行でした。
忘れもしない公演日2001年4月29日みどりの日に古い桟敷席で着物姿の私へ手招きする人がいました。私は諸々のことで頭がいっぱいになっていて、公演が終わるまで頭はパニックになっていました。私を手招きした方は「わざわざ東京からこの公演を観に来てくださった東大教授の多田富雄先生ご夫妻です。貴方に会いたいとおっしゃられて…ご挨拶させて下さい」と言われました。私は多田先生から名刺を頂き、「遠いところようこそおいでくださいました。どうぞごゆっくりお楽しみください」などと言いながらも、私の気持ちは全くゆっくりしておらず、目はあちこちを泳いでいたに違いありません。
私は多田先生のご専門も伺わず、全く失礼な態度をしてしまったことを思い出すと恥ずかしい限りではありますが、あの時のダンディーな多田先生が免疫学者の多田富雄先生だと確認した時、とても驚きました。そして更に驚いたことにその数日後に多田先生は脳梗塞でお倒れになり右半身完全麻痺、声も失われ、嚥下障害でお水さえ飲めない重度の障害をお持ちになられてしまったというのです。
これも「ご縁」というものでしょうか。なんと多田富雄先生はT細胞を発見した免疫学者だったそうです。弟が移植したCampath-1Hという移植法はこのT細胞をコントロールして移植を成功させる方法なのです。多田先生のおかげもあって弟は助かったと言っても過言ではないのだと深く深く感謝しています。
いつか、またお目にかかれますように…、そして感謝の気持ちを伝えられますように…。


弟のストレスとは?
白血病になってしまった弟にはどんなストレスがあるのでしょうか?
大きく別けると、心の問題・知識の問題・物質的な問題に分けられると思いました。孤独感や恐怖感、不安感で動揺する気持ちを自分でどうコントロールするかは「心の問題」。連日続く検査や治療の情報、薬剤の効果意味などは「知識の問題」、治療費や生活費などの経済的な「物質的問題」などがあるのでしょう。

しかし、幸いなことに弟は自分の気持ちの切り替えが実にうまい人だとこの闘病を経験して感心しました。何か問題がおきても「これ以上考えると心に負担をかけるのでよくない」と自分で判断ができ、さっと気持ちの切り替えをするのです。時には「お姉ちゃんも考えすぎると良くないよ」とアドバイスしてくれるくらいでした。気分を変えるのが得意でした。私はいつまでもクヨクヨ考えるタイプなので、姉を見て育った弟は調子がよく、機転がきくように育ったのかも知れません。

心の問題を考えた私はなるべく心の状態を弟と同じように保ち寄り添う気持ちで接しました。
知識の問題では弟と一緒に血液データの表作りから始め、毎日のように採血する血液データの結果を必要なものだけ一覧表に記入しました。「今日の白血球は1,200、血小板は7、ヘモグロビンは8、炎症反応5.5!」とパソコンのエクセルで作成した表に記入していくのです。炎症反応が5.5もあれば必ず熱が出ます。この数字から弟の体調が変化していくことを予測もできるようになりました。

薬についてもMTXはメソトレキセート、Ara-cはキロサイド、PSLはプレドニンなどとメモをして、副作用と思われる体調の変化があった時は必ず書くようにし、輸血の時も自分の体調の変化に敏感になるように言い聞かせました。

「経済的な問題」では、生命保険が一日あたり○円降りるので大丈夫と義妹がいっていたので安心していたのですが、その入院費が120日で切れることを知り愕然としました。120日では絶対に治るわけがない。それに移植治療が必要になるので、骨髄バンクの費用は保険適用にならないし…。しかし、本人にはそうは言えません。父が「もしもの時になれば車や家を売れば良い、そんなことは心配するな」とデンと構えてくれましたが両親も若くはありません。正直言ってこの不安は大きな問題でした。


コーピング(患者の自己努力)

弟が諸々なストレスに襲われながらも、それを前向きなコーピングに繋げるように話を向けていくことを心掛けました。コーピング(Coping)とは個人の性格特性により異なる心の衝撃を和らげようとする心の動きで本人の自己努力のことを言いうのだそうです。

白血病になってしまったとき、患者自身が「情報を集めたい!」と思うのもコーピングですし、「怖いから何も知りたくない…」と思うのもコーピングですね。これから先のさまざまな状況の現実を直視したとき、患者である弟がどう考えるか?このときになるべく前向きなコーピングをさせたいと思いました。周囲のサポートが充実していれば前向きなコーピングに繋がると信じました。周囲のソーシャルサポート。これには家族はもちろんのこと医師をはじめ医療従事者の方々、友人・知人・他の入院患者さんも入ると思います。

戦友ともいえる病友とは強い結びつきがあります。現に今も弟は外来の時には、ほぼ同時期に移植を受けた患者仲間と待ち合わせをして病院のレストランで一緒に食事をして、それぞれの診察が終わってからも、病棟の患者さんの所へ行ったりして患者仲間同士で励ましあっているそうです。再入院した仲間を見舞い、これから移植をする患者さんへはエールを贈り、お互いのコーピングを高めているように思えます。

たくさんの人たちの中に囲まれて、決して孤独ではないし、皆が協力して一緒に努力してくれることを理解すれば、キット良い形でのコーピングに繋がると思いました。しかし、もしかしたら周囲の一生懸命さが返ってストレスになるのではないか?私もそう想像したことがあります。しかし、口ではそう言う時もあるかもしれないけれど、周囲の気持ちは患者へ通じるものだと私は信じて来ました。そして、いつも自分の正直な気持ちを伝えてほしいと望んできました。家族の想いと患者の想いはいつも一致するとは限らないのだから自分の考えを家族に遠慮せず話してほしいと言ってきました。


コミュニケーション
では周囲からの充分な支援を受けるためにはどうしたら良いのでしょうか?何よりもコミュニケーションは大切だと考えました。

まず、第一印象は大切だと思います。医師や看護師、他の医療スタッフにも、同室の患者さんにも、もちろんそのご家族にも。おそらく、「そんなことまでに気を使ってられないわ」とおっしゃる人も多いかもしれませんが、医師も看護師さんも人間です。最初に会った時に「元気になりたいんです。治りたいのです!」との印象付けは決してマイナスにはならないでしょう。第一印象は最初の数秒で決まり、その後もその強い印象が記憶として残ります。より良いコミュニケーションを望むなら最初の態度や会話に少しだけ気遣うと良いのではないかと思いました。

また人と人のコミュニケーションは言語と非言語に分けられることを知りました。
対人態度の理解度というものは言語(バーバル)はたったの5〜15%で非言語(ノンバーバル)は85〜95%ものウエイトになるそうです。つまり人間は言葉以外の要素である表情や視線、身振りや声などで大半の意味が理解されているということになります。これには驚きました。医師へ患者サイドの気持ちを伝える時、このことを意識して伝えるかどうかでコミュニケーションの良し悪しがきっと変化するでしょう。
伝わる情報は話す内容よりも表情などに大きく影響されるのだとすると…、医師とのコミュニケーションが上手く取れなくて悩んでいるときには試してみる価値があるのではないかと思います。

例えば医師の説明を受けるとき、意識して頷きながらきいてみる。するときっと医師は発言量が増加するはずです。いろいろな情報を聞きたいときには有効な方法だと思います。医師は聞き手に頷かれることで「承認欲求の充足」を感じ、安心して言葉を発することができるようになるはずです。

また病院でのカンファレンスでは患者も家族も真剣なあまり医師の目を強く見すぎることがあると思いますが、そんなとき医師は敵意を感じてしまい言葉が少なくなるかもしれません。重篤な病状説明や困難な治療の話は心穏やかでは無い時も多いとは思いますが、なるべく医師の話のリズムに合わせて聞きながら質問をすると良いのではないかと思いました。


ピグマリオン効果
そして「ピグマリオン効果」。「教師の期待」と「子供の成績」の伸びの因果関係を証明したアメリカの教育心理学者ローゼンタールは、教師が子供に強い期待や信頼感を持っていると無意識に教師の声や表情、態度にその思いが伝えられ、子供のやる気や成績にも影響することを実験で証明しているそうです。
医師と患者の関係へも同じことが言えるのではないか?と私は思いました。医師と患者へ期待と信頼度を持っていると治癒率もあげられるのではないかと思いました。



患者家族?
私は自分でも治療情報を収集しました。そして主治医へ「この治療は弟には当てはまりませんか?これはどうでしょう?」と、ぶつかっていきました。主治医も情報を集め調べ検討し答えを返してくれました。私は常に「先生へ期待しているのです!絶対に治してさい!」といい続けました。医師は私へ充分な返答をするために必死になってくれいていた様子が分かりました。そこに信頼というものが生まれたのだと思います。そして移植のために転院するとき、最後に「僕も勉強させてもらいましたよ」と笑っておっしゃいました。その言葉を聞いたとき、ありがたくて泣いちゃいそうでした。いろいろなことがあって、失礼も多々あったと思うけれど感謝しています。

臨床が手一杯の施設の医師は新しい情報を入手したり勉強したりする時間が無いように思います。インターネットを使って我々患者家族のほうが情報を早く入手できる場合がありました。そんなとき、私達家族は主治医へ不信感を抱きます。「えっ?」という表情をしてしまうことでしょう。でも、現実には医師も大変なのですよね。ですから、一緒に勉強し成長していく部分もあるのだと感じました(生意気ですね、ゴメンナサイ)。

そのためにも医師とのコミュニケーションは大切です。医師との信頼関係は一方的なものではなく相互的なものです。だから患者も家族も努力が必要だと思います。また、医師とて人間です。一人の医師には限界があります。そのことを患者と家族は知っておかなくてはならないと思います。

今、世の中で「患者学」という、言葉を目にすることがあります。患者が自ら学ぶことも大事だけれど、周囲が学ぶこと、名付けるならば「患者家族学」というものが役立つのではないかと感じました。


なんかうまく書けてないのですが・・・
続きをまた書きたいと思います。


読んでくださってありがとうございました。



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