Milky's Mutter page1 page 2 | |||||||||||||||||
笑える話、考えちゃう話、頭に来ちゃう話、ズキーンと心が痛む話 そして、誰かに、密かに伝えたいことを書いてみました。 |
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15、励まされて・・・ 「治療方法は移植しかない」と告げられて、私はN大学病院の担当医へ「先生の患者さんでShinと同じALL+Ph1の病気で移植をクリアして元気になられた患者さんはどのくらいいらっしゃるのでしょうか?」と尋ねたことがありました。先生は申し訳無さそうな顔をして「ご自分の足で元気に歩いて退院された方は一人もいらっしゃいません。」とおっしゃいました。その時の先生の顔が忘れられません。そして、よりによって白血病の中でも最悪な性質のタイプを発病してしまったことに頭を抱えました。「元気になった患者さんはこの病院にはいない…」その言葉がグルグル頭の中で回り続けました。「どこかに、どこかにいるであろう弟と同じ病気で元気になった方に会いたい!」私は思い続けました。 そんな中で私はHPで闘病記を公開している方へメールを書きました。そしてたくさんの勇気を頂きました。いろんな方の闘病記を印刷して病室のShinへ届けました。Shinはベッドの上でむさぼり読みました。 いよいよ移植を控えて個室へ移った頃、ホームページ「猫のかんづめ」のアスパラさんがShinに会いに来てくれました。アスパラさんはALLではないけれど、非血縁のドナーさんから骨髄提供を受け元気になられた患者さんです。(“猫かん”へはLinkのページから飛んでってね!) 移植をされて元気になられたアスパラさんにShinはどれだけの勇気を頂いたのでしょうか。DLI(ドナーリンパ球輸注)までされたアスパラさんの闘病は尋常ではなかったことをShinは読んでいましたので、「自分も後に次ぐ」との固い決心をしたのだと思います。 アスパラさんが訪ねてくれた、あの時の事をShinも私も忘れられません。Shinはとても、とても嬉しかったんだと思います。 「僕も元気になったら移植を控えた患者さんへ会いに行って励ましたい!」そう言い続けていました。 そして今、Shinは移植目前の患者さんへ会いに行っています。『移植をクリアして元気になってほしい!』その願いを込めて頑張っている病友へ激励を贈りに。 「勇気」それは「積極的になる気力」。その気力を少しでもあげることが出来たら嬉しいね。これから頑張る友たちに…。 アスパラちゃん、Chicoちゃん、すなふーさん、族長さん、夢夢さん、そして多くのサイトのお友達、いろいろなアドバイスをありがとうございました。私達がHPを作成しようと思ったのも皆さんのお力の大きさを痛感したからです。まだまだ拙いHPですが、これからもよろしくお願いいたします。そして、ひとりでも多くの患者さんが救われることを願っています。 14、期待と不満の関係 Shinの入院中、「医療はサービス業」だとShinの主治医はおっしゃったことがあります。医学生(1年生)を数人連れてShinの病室へ来て「患者は医師を選ぶ時代」だと話された時は心から尊敬しちゃいました。私の心の声は「きゃ〜、先生ったらなんて良いことを言うのか知らん!(*^^)^*) ☆Chu!!」って感じです。(本当にChu!などは出来ませんが…(^_^; アハハ…) 私はしつこい患者家族だと思います。分からないことをそのままにしておけない。納得できないと不安で仕方ない。もちろんDrは医療のプロだから素人の患者や家族に理解できるように説明をするのは、かなり難しいのかも知れないけれど、でもそんな私の質問にも簡潔に適格に答えて下さる主治医には心底頭が下がります。 私達がこのHPを立ち上げてから、同じような病気で悩まれている患者さんやご家族からメールをいただきました。その方々へ納得の行くお返事が出せたかどうか分かりませんが、ここに来て振り返ると“主治医とのコミュニケーションがうまく取れない”という内容が大半を占めていたように思います。つまり医師に対しての『不満』です。 では、なぜ医師に対して不満を持つのでしょうか? それは、患者サイドが無意識のうちに『期待』をしているからではないでしょうか?何事においても期待をしていなければ不満に感じることはないのです。その患者サイドの『知らず知らずの期待』が基準なんだと思うのです。 だから同じDrでも患者さんによっては「良い先生」にもなるし「悪い先生」にもなってしまうんですよね。その患者さんの『期待度』の違いだと思うのです。 「この先生は、きっとこういう先生だろう・・・(こういう先生であってほしい!)」と患者は勝手に想像するんです。そして、その通りだったら『当たり前』つまり普通『まあまあの先生』。過でも不足でもないんですね。でも、期待(想像)を超えるものだったら「良い先生」となり、もっと期待以上だったら「素晴らしい先生!」となる。しかし・・・、期待以下だったら「嫌な先生」、もっともっと期待以下だったら「最低な先生!」となってしまう訳ですよね。 白血病のように死に直結する病気の場合、患者サイドは医師に対して、知らず知らずのうちに高い期待度を持ってしまうんだと思います。自分の想像を超える良い先生であってほしいと。 だから医師の方々にはここを理解してほしいと思うんです。「この患者さんは自分に対して、どのくらいの期待度を持っているのか」を察知してほしいんです。そして、期待に応えるように(少しだけ上回るように)努力をしてほしいと思うんです。時には患者が過度の期待をし過ぎないように、医師が努力(コントロール?)しなければならないこともあると思います。 又、患者サイドは自分が知らず知らずのうちに膨らましている医師への期待度を自分自身の努力と照らし合わせて考えることも必要だと思います。 主治医の説明を理解できるようになる努力も大切だと思うし、主治医との治療上の生命線である『信頼関係』をどうしたら築けるのかを考えることも必要だと思います。 13、“ミュージックタイム”の思い出 闘病に音楽は欠かせないものなんでしょうね。 私が一昨年の冬に胆嚢摘出のため入院した時、前のベッドのおばあさんは末期癌の患者さんでした。昼食が済むと4人部屋の私の病室は“ミュージックタイム”になるのです。レターメンやニニ・ロッソの曲をカセットプレーヤーで音を大きくして部屋中に聴こえるようにかけるのですが、同年代の3人のお仲間はとてもいいお顔をなさって聴いていらっしゃいました。私が入院した時に「午後の1時からはミュージックタイムになるけど音楽をかけても良い?」と私に尋ねられました。私は「もちろん!」と答えその時間が来るのを楽しみにしていました。 Shinが入院してパソコンにCDを入れるとき、カセットを押すことも出来なかったあの末期癌のおばあさんのことを思い出すこともしなかったのに、なぜか昨日、ふとあのおばあさんのことを思い出したんです。 あのおばあさんは昔に流行った曲を聴きながら何を思っていたのかしら? 曲を聴くとハッキリと思い出す場面があって、それが良い思い出でも悪い思い出でも、自分の中に刻まれた時間だったんだと思うとき、時間を大切にしなければいけないと思います。 私が手術を終えて退院する時「人生は1度きりよ、大切になさいね・・・」と言って送ってくれたあのおばあさんのことが妙に思い出せれてなりません。寝たきりで窓からの景色しか目にすることが出来ないあのおばあさんには、音楽が唯一の楽しみだったんだと思います。今、私は竹内まりあの“Longtime Favorites”を聴いています。 12、骨髄バンク Shinが発病したのをキッカケに友人たちがドナー登録をしてくれた。本当にありがとう! 私も登録したけれど提供依頼はまだ来ない。私と同じHLAの登録者は50名以上いるから、なかなかお呼びは掛からないかな?(私は自分のHLAを知ってるから、私と同じHLAの登録者が何人いるか調べてみたんですよ〜) Shinへの提供はPBSCHといって末梢血から成分献血のようにして採取したから、バンクのドナーと同じ骨髄(腰)からの採取もして比較をしてみたいと真剣に思っている。そのためにも健康には気をつけないとね。(*^_^*) 私の親友Hiroにバンクから『提供依頼』が届いたのは登録から5ヶ月目のことだった。 みんなで喜んで「もちろんOK!」Hiroは喜んで確認検査を受けてくれた。ところが、ところがだ、検査の結果「肝炎の疑いがある」と言われた。Hiroの落ち込みようは尋常ではなく、何かの間違いではないかと再検査を申し出ました。 しかし、再検査の結果、調整医師の話では「普通の生活には何も問題はないけれど、ドナーにはなれない」との説明に、移植を待っている患者さんへの申し訳なさで一杯になりながら、泣く泣くドナーへの道を諦めたのです。 暫くしてHiroが「ドナー登録の時に骨髄を提供できるかどうかの検査をしてるのかな〜?。確認検査の結果でダメだと言われるのって、すっごくショックなんだよ・・・。提供できないなら、登録する時にそう言われたほうがいいよ・・・」とポツリと言いました。 そうよね、提供できないドナーが登録しても結果として意味のないものになってしまうし、骨髄バンクが負担する登録者のHLA検査費用だって決して安くはない。それに確認検査後に断られる登録者は精神的に大きなショックを受けると思った私は骨髄バンクへお尋ねをしてみました。 『最初の登録時に10ccの採血をしますが、登録時には献血と同じような血液検査はしないのでしょうか?HLAの検査だけして登録してしまうのでしょうか?』 そのお答えは『血液検査は行っておりません』でした。理由は登録業務(検査)は日赤が行うが、その中に『血液検査にてドナーの適格性を判定することは業務として入っていない』のだそうです。 ドナー登録の申し込み用紙を記入する時に「献血をしたことがあるかどうか?」の質問で「Yes=骨髄提供可能」という初期判定をするのだとか・・・。 Hiroはいつも400ccの献血をしていました。なのに今回のドナーになるための確認検査で、今まで献血をしていたことを告げたら「今後は献血をしないで下さい」と言われたんです。驚くのは私だけかしら?やっぱり日赤の献血(血液製剤)に関しての諸問題は由々しき問題だわ!と感じました。 私は善意の登録者や献血者の気持ちをもっと大事にしてほしいと思います。 11、2003年1月6日の日記 1月6日(月曜日) 今朝T大学病院へ入院する。待ちに待った転院だ。いよいよこの日が来てしまった。 車中でShinが言った。 僕は昨夜、一睡もしないで考えた。 僕は、こう考えた。 僕は・・・、神様が試練として誰かを白血病にしなくてはならなかったんだと思ったんだ。 それは、もしかしたら、両親だったかもしれないし、太郎か次郎(Shinの子供)だったかもしれないし、カミサンだったかもしれないし、お姉ちゃんだったかもしれないし、YouやHana(私の子)だったかもしれないんだ。 で、その中で一番白血病に勝ちうる人間を選んでくれたんだと思うんだよ。 僕なら「病気に勝てるだろう!」・・・って。 僕の場合はJMDP(日本骨髄バンク)に32人、NMDP(アメリカ骨髄バンク)に9人もオールマッチの可能性のあるドナーさんがいる。でも、もしかして僕じゃなかったら、コウタ君みたいにドナーが誰も居なかったかもしれないんだよ・・・。 「Campath-1H」を使った移植方法は、2座あるいは3座違いのドナーの幹細胞を移植する方法なんだよね、ってことはさ、コウタ君みたいにバンクでドナーが見つからない人にも可能性のある移植方法なんだよ! だって、親は少なくとも3座以上は適合しているわけだからね。 でも、日本ではCampath-1Hの症例は少ない。(この時点で4名) Campath-1Hっていう方法があることすら知らない患者も多いと思うよ。 だから、みんなドナーを待っている。でも、そこには「再発」という大きなリスクがあるんだよ。 このCampath-1Hが安全な移植方法だと認められたら、ほとんどの白血病患者は移植が出来るようになるよね、きっと。 僕はドナーが見つからない多くの患者さん達のためにも、神田先生を信じてCampath-1Hでの移植を、あえて希望したいと思う。 僕が元気になったら、みんなに勇気と希望を与えられると思うんだ。 それが、僕に与えられた使命だと思ったんだよ。 ・・・・・・・・・・姉ちゃん、どう思う? 私はそう聞かれて胸が張り裂けそうだった・・・。 患者は必ず「確立 % 成績」という数字に惑わされる。 移植する患者にとっては「0か100」=「助かるか、助からないか」だと分かっていても惑わされる。 あらゆる方法、あらゆる数字、あらゆる情報、あらゆる先生方からのセカンド・オピニオン、そして家族銘々の考え方・・・。 その多くの選択肢の中から、弟が自分の考えで決断したことを私は姉として褒めてやりたい。 そして多くの方々へ感謝したい。 後悔しない選択をさせられることが出来たことに。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 今も忘れないよ。あの日の朝のこと。 Shinの使命、忘れてないね! 「多くの患者さん達へ夢と希望を与えること」だよね。 10、親の気持ち 子供が病気になったショックは大きい・・・それは分かる。いえ、本当は分からないと思うことがいっぱいあった。息子の発病は両親にとって辛いことだというのは分かる。でも、それは兄弟だって同じこと。夫婦だって同じこと。でも、親は兄弟とは違うということが最近少し理解できるようになった。今頃になって・・・。 Shinが白血病になったとき、父親は私の話に聞く耳を持たなかった。母親は理解しようと努力していたけれど、どんなに説明しても頓珍漢な解釈しか出来なかった。 発病間もない頃、病院から私が戻り、遅い夕飯を両親と食べている時、「今日は〜〜でね、先生は〜〜」と病気についての話をし始めると父は箸を置き、「もう寝る」と自室へ行ってしまう有様。「ちゃんと聞いてよ!」と私が怒ると「聞きたくない!自分の前ではShinの病気の話をするな!」と言う。母も追い討ちを掛けるように「ちゃんと聞いて下さい!」と背中に向かって叫ぶけれど、父は小さくなった背中を翻すことはしなかった。 母は一生懸命に理解しようと本を開く。でも、「読めば読むほど絶望感を感じる」と本をパタンと閉じてしまう。 情報を集めて治療・移植の選択肢、病院の選択肢を並べても、父は「お前の話は混乱する」と拒否。 私が怒ると「お前に任せる」の一言で終わり。母はその様子を見ながら泣いて「Shinはどうして白血病になんて、なってしまったのだろう・・・」と今更言っても仕方がない話をする。私はその様子に腹が立つ。発病当時はこんな日々の繰り返しだった。 「親は《子供が死んでしまうかも知れない病気に罹ってしまった》ことを受け入れられないのだ。」と言うことが私には分からなかった・・・。だから、随分ひどい言葉も発していたと今は後悔している。 最初、父はほとんど病室へは行かなかった。行く気がなかったのではなく「行けなかった」のだと、今はそれが理解できる。母は悲しみに押し潰されそうになっていたのだと。 移植も終わり、経過もよく、退院が近づいてきた頃、父が私にこう言った。 「白血病の本を読みたいから貸してくれないか・・・」 発病から数ヶ月が過ぎ、やっと父は息子の病気《白血病》と向き合うことが出来たのだ。 私は密かに嬉しかった。(*^_^*) そして心の中で謝った、ごめんね、分かってあげられなくて・・・。 9、HLA検査費用って、ど〜なってるの? いまだに不思議だなぁ〜?と思っていることがある。それはHLAの検査料の金額のこと。 私と両親は一人あたり25,000円のHLA検査代金をN大学病院へ支払った。このくらいは掛かると聞いていたから仕方がないなぁ〜と思っていた。 そして更に姉の私はDNAタイピングと呼ばれる遺伝子レベルまでの検査が必要で、T大学病院でDNAタイピングのため約80,000円の検査料が掛かった。私はHLAとDNA両検査で約10万円の検査料になった。 ところが従弟が○赤○宮病院でHLA検査した費用が13万円だったの! それに「こんな検査してもお金の無駄じゃない?」と、おっしゃいました。(無駄かどうかはこっちが決めることだわ。) 私の常備読本である、NPO骨髄バンク推進連絡協議会“協議会ニュース臨時創刊号”として出されている「白血病と言われたら」の本に『骨髄バンク認定病院情報(2000年11月・2000年1月実施のアンケートより)』というのがあるが、その中に【血縁者等のHLA検査料】という欄があります。(お持ちになっている方は一度ご覧になってみて下さい。)このHLA検査料の金額の違いに驚かされます! ちなみに両親兄弟は0円という施設もあるし、15万円という施設もあります。SRL(検査会社)の料金と書いてあるところもあります。予約すると0円という病院もあるし、家族全員で10,000円というところもあります。 先日、私の知人は都内の○林大学病院で一人当たり43,000円だったそうです。 保険が適用されない自己負担の検査費用は外注の検査会社の請求金額の3倍まで自由設定してもいいと決まっているらしいが、それにしても、 いったい、このHLA検査費用って、ど〜なってるの???知ってる方は教えてくださいまし。 8、VIPになった?免許更新 移植から1ヶ月過ぎた頃、4月20日の誕生日を前に、Shinに免許の更新の知らせが来た。 それも“違反講習が必要”だと。 おいおいShin、どこで何の違反をしたの? 「入院中の患者に免許更新のハガキが来ているのですが、更新手続きはどのようにしたら良いでしょうか?」と電話で尋ねるが、通り一遍のお答え。 誕生日で期限が切れると免許は失効。 しかし、入院している場合は後日に医師の証明を持って手続きすると何かしらの試験(?)がパスできるらしい。 でも、やはり、本人が免許センターへ行き講習を受けなくては更新をしてもらえないことは、どうにも出来ないことだと分かった。 「俺、車にだけは乗りたいから。講習受けたい、免許の更新させてよ!」 外出が出来るようになっても免許がなくなったら、Shinの移動は範囲が狭くなる。この車好きが運転を禁止されたらどうなるか、(つまり無免許で運転しちゃうんじゃないか?など)心配でたまらない。 どうにか、感染しないように免許の更新をさせる方法が無いものか…。 免許センターへ「講習は1回に何人くらいの方々が受けるのですか?」と問い合わせると、「数百人でしょう・・・」との答え。 (|||_|||)ガビーン ただでさえ、人込みに行くのは要注意なのに。 「あのぉ、大勢の人の中に行くと感染の恐れがあって危険なのですが…」と言うと、「そうおっしゃられましてもねぇ〜。病気なのに免許更新するのですか?」と反対に聞き返されてしまう始末。当たり前だよね…。 いよいよ期限が切れてしまうという日が近づいてきた。 「髄注したらまた白血球が下がるし…今しかない!」と、私は病院へ外出届けをShinに出させ(所用を足しに自宅へ行ってくるとの理由にして)Shinを乗せて一路、免許センターへ向かった。 途中、母からの電話。「免許センターは警察の管轄だから警視庁にお願いをしてみようと、父がどこかへ電話をしている」と言う。 えええー?ケイシチョー??? 何をどう話したのだろうか、講習は個室で行われ、他の受講生とは全く接触すること無く、無事に免許を更新していただけたのだ。驚き! 放射線照射をしているので、陽に当たらないようにとの配慮もして下さり、車を建物ぎりぎりまで付けさせて乗り降りもスムーズに出来たうえ、担当の職員の方が「お大事にね。次回の更新も待っていますよ。絶対に病気を治してくださいね。頑張って!」と心のこもった暖かなお言葉を掛けてくださいました。 新しい免許証の写真はハゲ頭で、放射線の色素沈着のせいで色黒というか、“ちょー怪しい感じ”だけど、Shinは満足げな様子。帰りはうなぎを食べて病院へ戻りました。 え〜?私のおごり〜? なぜぇ〜〜(○`ε´○) プンプン!! 7、未受精卵子保存 女性にとってこの白血病という病気は、男性のShinと比べるともっともっと辛いと感じた出来事があった。特に未婚の若い女性にはあまりにも酷だ。 私が幹細胞の採取をして退院した翌日の朝のことだった。 『東京駅から西新宿まではどうやって行くのですか?いくらくらい掛かるのですか?』 と、HPでお友達になった白血病の女の子から、私の携帯にメールが来た。 『今、どこにいるの?』と返信をする。 『卵子保存のために上京してます。今、東京行きの新幹線の中です!』 私の様子を見て父がどうしたのかと尋ねたので、メールの内容を話すと 「すぐに東京駅に迎えに行ってあげなさい。」と車で駅まで送ってくれた。 あまりに急なことで時間が無い私はスッピンのまま電車に飛び乗った。 東京駅で会うと言っても、顔も知らないし、どうやって探せばいいのか? お互いに着ている服をメールに書き、『ホームで会いましょう♪』 ちょっとドキドキ(^。^) 「はじめまして!」の挨拶もそこそこに地下鉄に乗り西新宿へ向かいました。 病院の待合室で自己紹介(?)をしていると、あっという間にお昼になり、近くでランチ(…と言ってもドンブリ物でしたが)を食べていた時のことです。 「私は白血病だけど、治療して、完治したら、結婚して、子供を産みたい。だから、未受精卵子の保存をしたくて上京したんだけど…」 私に聞きたいことがあると言う。 「治療が順調に行って、病気が完治して、結婚して、ラッキーなことに子供が産めたとしても、いつ再発するか分からない…」 まっすぐに輝く瞳が私を見て言葉は続く。 「そんな私が、白血病患者の私が、母親になりたいと望むのは間違っていますか?」 私は胸が締め付けられるように痛かった。 私からとっさに出た言葉は「ランシは保存できるけど、カレシは保存できないから、彼氏を見つけることからはじめようよ! お母さんになるには、お父さんが必要だから…。あなたのことを心から愛してくれる男性が見つかったら、同じ質問をその人にしてみようよ。 (なんと気が利かない言葉だろうか・・・情けない限りだわ〜。ごめんなさい・・・) きっと、『間違いなんかじゃないよ』と言ってくれるよ!」 いつか何年後かに、赤ちゃんを抱えた写真を見せてもらえることを夢見よう♪ その時、みんなが、みんなが幸せでありますように…。神様にお願いをした。 6、めがね屋さん N大学病院入院中の出来事。 Shinのメガネ(カザール)が壊れちゃって「困ったなぁ〜」と言っていたら研修医の先生が 「1階の売店の隣に眼鏡屋さんがありますよ!」と親切に教えてくれた。 白血球数値が低いShinは病室から出られないので、私がメガネを持って行ったら、店の奥から背中の曲がったおじいさんが出てきました。それはまるでオトギバナシに出てくるようなおじいさんでした。(杖はついてないよ) この店にはこのおじいさんしか居ないらしい。 昭和40年代頃へタイムスリップした雰囲気。 「あのぉ、メガネを直していただきたいのですが。」 「どこが壊れたんですかぁ?」 「ここです。」 「はぁ〜?どこですかぁ〜?」と目を近づけて、めがねを丹念に見ているおじいさん。 ・・・暫し時間が経過・・・ 「すみませんが、私には修理できませんねぇ〜」 「ええっ?どうしてですか?入院患者なので不自由なんです…何とかしていただけませんか?」 おじいさんはShinのメガネをこねくり回してから、私の顔を見て 「実はねぇ、私、目が悪いんですよ…」 え〜っ?目がテン 「はぁ〜、そうですか・・・。お・お大事にぃ…」 私はメガネを受け取って病室へ戻る途中、おかしくて、おかしくて。 目の悪い眼鏡屋さんは困るわ〜。・・・・ (――;) 5、マネー…?えっ、OK…? そろそろ私とShinのHLAの照合結果が出るという頃、病室へ行くと親戚が来ていた。 Shinが私の顔を見るなり右手の親指と人差し指をつけて丸を作り私に、こっそりとサインを送ってきた。 まったく…、何に必要なの?と思いながら「後でね」と声に出さずに言った。 ところがShinは私の伝えた意味が分からなかったのか、再度サインを私に送る。シツコイ。 まったく…、親戚がいるのに、恥ずかしいじゃないの…、いい年してお小遣いをねだるなんて…どういうつもり??? 私は親戚に気を遣いながら「まったく、何に使うのかしらねぇ〜、お恥ずかしいわぁ〜」なんて言いながらお財布をバックから取り出そうとした時、 「姉ちゃん、何してるの?」とポカンとしたShinの顔。 「ん?お小遣いほしいんでしょ?」と言うと、「なんで姉ちゃんから小遣いもらうんだよ。さっき先生が来てHLAが合ってるってさ!OKだってさ!」といってOKのサインをして見せた。 ああ…(|||_|||)…それって、“OK!”の意味だったのね〜 私が“お金”のサインだと勘違いしていたんですぅ…(-_-メ) 「ええええー、適合してるって?センセー!」と言って病室を飛び出た私のことを親戚とShinは爆笑していた。 「マネー」と「オッケー」のサインはとても似ている。間違えた私はドジ? (…でも、この笑い話の後DNAレベルで2座違うことが判明し奈落の底に突き落とされたのだが…) 4、スパゲティー Shinはスパゲティーが好き。入院中にデパ地下から出来立てのホクホクを何回届けたことか…。ある日、従兄弟のToshiと会って「HLA検査をしてもらえないか…」と相談をしていたらShinから『おいし〜い、スパゲティーが食べたい!お願いね〜。』とメールが来た。いつもこうしてメールが届く。 Toshiいわく、「デパ地下じゃ、おいしくないだろう?」 「でも、じゃ、どこで買うのよ…?」二人で悩んだ挙句、「イタリアンレストランで俺達が食って、美味かったらテイクアウトさせてもらおう!」と私たちは代官山へ向かった。 久しぶりのおしゃれな街、代官山☆〜♪ルンルン☆ミあった、あったイタメシ屋〜。そして食べた、食べた。 食べ終わって「すみません、同じものをテイクアウトしたいのですが…」 「申し訳ございません。当店はシェフの意向でお持ち帰りようにはお作りできません。」あっさりと言われた。ここで引くMilkyではない。 「そこを何とか…お願いします。このパスタを食べさせたいんです!」と拝み倒した。ハーフのような美しいホールウーマンが何度シェフのいるキッチンへ行ったり来たりしただろう…最終的には「ダメ!」だった。ザンネン……。 ワインもずいぶん飲んじゃったし、あきらめて店の外に出た。 Toshiが「残念だね…、Shinのために努力したけれど、おいしいパスタは〜」と言いかけた途端、何かを思い出したように手を叩いた。 「俺の会社の店があるじゃん!」 Toshiが勤めている会社(アパレル関係)はレストランもやっている。早速電話するが、やはりテイクアウトはできないと言われた。Toshiはとっさに「俺が食いたいんだよ!容器は何でもいいから、俺のために作ってくれよ、“にんにくとキノコのパスタ”を!!えっ?俺?今日は仕事が休みだけど、どうしても食いたいんだよ〜。えっ?そこじゃ食べたくないのよ。東京湾でも見ながら食べたいの、一人で。箸は要らないからさっ!」私も強引だが従兄弟のToshiも強引だ。話のつじつまが合っているようで合っていない…(爆笑) 結局強引にOKをもらい、私達は車で新宿へ。 待つこと少々。使い古しの(失礼!)タッパーにプラスチックのフォークまでつけて、匂わないようにラップで何重にも包んでくださいました。ありがとうございます! 最後に本当の事情を話し、シェフとスタッフの皆さんへお礼を言って病院へ。8時までの面会時間に間に合わないかも…と車を飛ばし、7時45分到着。「遅いじゃん!もう来ないんじゃないかと思ってたよ〜」とShin。 私が大事に抱えてきた“ニンニクとキノコのスパゲティー”をぺロッと一気に食べ「ごちそうさん!久しぶりにスッゲーうまいスパゲティーだったよ!」とニコニコ満足気。あまりにもShinの食べっぷりが良いのであっけにとられた私達。10分も経っただろうか?面会時間終了の8時前に私達はニンニクの香りの充満した病室を後にした。 私とToshiはドッと疲れてしまった。カラのタッパーを見て嬉しさと、なぜか虚しさを感じた。 その時Toshiが言った。「ねぇ、俺達は夕飯どうする???」 「そーだね。私達も何か食べようよ…。」 「でも、アイツの食べっぷり見たら食欲無くなったよなぁ〜」 ・・・だんまり・・・ 「帰ろうか?」 そこにShinからのメール 『さっきのパスタ、すっごくおいしかったよん!また頼んでもい〜い?』 私の返信『今日のはトクベツ!』 3、特上チラシ寿司 寛解になり、一時的に主治医から「生ものも許可しますよ」と言われた途端に 『チラシ寿司、サラダ(コールスロー)、持ってきて〜!』とメールが来たが、私はもう電車の中。 仕方が無い…デパ地下、デパ地下。うーーん、でも作って時間が経っているのは心配だし…。 私はレストラン街へ。 すし屋発見!(/*⌒-⌒)o 「特上チラシ寿司、一人前持ち帰りでお願いします。」 久しぶりのお寿司だもの奮発&奮発。 カウンターに腰掛けるよう勧められ、お茶まで出してくれて、時々時計を気にする私に 「お急ぎですかっ?」威勢のいい板さんが声を掛けてくれた。 「ええ、病院へ届けるので12時までに持って行きたいんです。」 「ほほー、じゃ、超特急で作りやすねっ。そして、ネタもいっぱいサービスしちゃうからね!幸せだね〜、オネーさんみたいな人に、うちの美味い寿司届けてもらえる病人さんは…」 と、手をパン!と叩きながらお世辞まで加えて丁寧に作ってくれた。 ゛v(^_^ v)=アリガトウ=(v ^_^)v゛すし屋の板さんよっ。 私は急いで届けた。(板さんの想いも一緒にね) 山盛りのイクラ、大きなボタン海老、マグロにイカ、サーモン、ハマチにホタテ…色とりどりのネタが入ったチラシ寿司を病室で広げたShin。(…ゴメンナサイ。今これを読んでいて生物が食べられない患者さんがいたら申し訳ない。想像しないで下さいまし…) 開口一番「こんな高級なヤツじゃなくて、普通ので良かったのに!」だって… 人の気も知らないで…( ̄ヘ ̄)凸 ムカッ。決して私の懐具合を気遣った言葉ではない。 貪り食いながら「今度は回転寿司でいいからさっ!」だって…。ワガママだけど安上がりな男だ。 その後、「あの時のチラシは美味かったなぁ〜」と言っていたがもう二度と、特上チラシは届けないと固く心に決めたワタシ。 2、レントゲン CRP(炎症反応)が高いのに、外来(1F)へレントゲンを撮りに行かなければならなかった。 ちょうど季節の変わり目の頃で風邪が流行しているとニュースでやっていた頃。 意気揚々と久々にエレベータで降りてみたら、あふれんばかりの患者さん。(>_<)ヒェー 「主治医は感染が心配だと言うのに何でこんな人込みの中で待たせ、レントゲンを撮らなくてはならないのか?俺はCRPが高いんじゃー!(○`ε´○) 」 Shinはレントゲンを撮らずに、クルッと向きを変え病室へ戻ってしまった。 「俺のレントゲンは外来の患者が少なくなってからにして!それにしても下界は風邪の患者さんが多い…」と言って布団をかぶって不貞寝してしまった。 同じ理由でエコーも中止。 「外来診療時間中は下へ行くのは嫌だ!」と言ったら、主治医が「じゃ、中止!」と言ったそうだ。これもおかしな話…。 「こうやって自分の身を守るのも患者の務めだ!」と得意げに言っていたが、レントゲンやエコーの検査の予約システムに問題があるのではないか?と私は感じた。 だって、必要不可欠な検査だったら主治医が間単に「中止!」って言う?普通は言わないよね。だから“しなくてもいい検査”だったってことじゃない???違うかなぁ〜? それにしても、あんたの態度はデカくない、Shin…?・・・(-_-メ) 1、ニンジンはお好き? Shinはワガママです。 Shin本人をご存知の方は「えっ?あのShinちゃんが?」と言われるかも知れませんが、 かなりの“ワガママ”です。 発病当時、「緑黄色野菜が良いらしい…」と聞いたAちゃん(Shinの奥さん)が 毎日のように料理を届けました。 Shinが「混ぜご飯が食べたい!」と言うと、ニンジンがいっぱい入った“ニンジンたっぷり炊き込みご飯”。 「カレーが食べたい!」と言うと、ニンジンがいっぱい入った“ニンジンカレー”。 白和えにもニンジン。ニンジンの金平、ニンジン多めのガメ煮(知ってる?)などなど。 さすがにニンジンばかりで…♪今日もニンジン、明日もニンジン、きっと明後日もニンジ〜ン♪…(と歌っている場合ではない…あれ?田原俊彦のニンジン娘≠チて歌が昔あったね(^^♪アハハ) でも、一生懸命料理を作ってくるけなげなAちゃんへ、ついに言ってしまった 「ニンジン・ニンジンと食べさせるな!俺は馬じゃない!(`^´)」 言われたAちゃんは、ショックを受けた様子も無く「じゃ、次はカボチャにしようかしら?」 ウッキャキャキャキャキャッ_( ̄▽ ̄)ノ彡☆ばんばん! Shinは馬に似ていると思うのは私だけだろうか??? |
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