2002年9月8日鼻血が4時間止まらず、翌9月9日に地元の総合病院を受診、血液検査で「白血病に間違いない」と言われるが、そんな簡単に「白血病」と言う医者に一番驚いた。(白血球92,000・血小板40,000) そのままN大学付属病院へ入院(自ら愛車のエルグランドを運転して行く) 当日のマルクなどでの検査の結果「急性リンパ性白血病(L2)」と診断され、JALSGプロトコール97で寛解導入開始一週間後にフィラデルフィア染色体異常(染色体9番と22番の転座)と判明、高リスク群と説明を受け、移植しか治療方法は無いと告げられる。 プロトコール202(グリベック併用)へ変更し寛解導入を続ける。 移植準備のため姉のHLA検査結果は出るが自分の血液が正常値にならないためHLA検査が出来ずにイライラする。 プレドニン(ステロイド剤)の副作用ですごい食欲。胃の検査をしたほうが良いのではないか?と言われる(毎日欠かさず差し入れをしてもらった) 10月9日初めてのルンバール後、寛解に達していると嬉しい報告を受ける(この時の主治医は「僕は世界一ルンバールが上手だ!」と言ったが、本当に上手だった・・・と、今、痛感している、S木先生、ありがとうございます!) 姉との白血球型検査の照合結果、血清学的(HLA)には1ローカス・ミスマッチ、DNAタイピングで1ローカス・ミスマッチと一致しなかったので10月29日に骨髄バンクへ患者登録をするとともに姉との母児免疫寛容について調べる。 JMDPとMNDPでDNAレベルまでの完全一致ドナーを探しながら、臍帯血移植も視野に入れて、あらゆる移植方法と症例数・成績や移植施設(病院)について調べる。 食欲もさながら最高一日で約7リットルの尿が出る(誰か俺の蓄尿器に入れてるんじゃないか?って思ったくらい・・・大笑い!)一日で24回もトイレに行くので眠れない。 12月半ば地固め療法1回目を終了後、一時退院。(自宅でグリベック服用) |