8月30日大阪にて「血液学会・公開シンポジウム」があり、僕の主治医が講演(僕の話もする?)をすると知り、どうしても大阪へ行きたくなった。久々の大阪行きに舞い上がったが、退院して数日しか経ってないから両親は心配していた。
姉貴も一緒に行くという予定で決行!!(ところが急に姉貴にアクシデントがあり、Milky涙の断念・・・ちょっとオーバー?)いやいや、大阪の夜を堪能しましたよ〜。お好み焼きぃ!(^^)!うまかったぜ!
久々にCちゃんとも会った。(Rブンブンさせて来たらしい?)Aさんとも会って同じALLの彼女(闘病中)の話に花が咲いた。
HLA研究所のS先生とも会えたし嬉しかった!○野先生(採取の時のMIlkyの担当医だった)のサイトメガロの講演も聞く事が出来たが、内容は難しかった。

移植を控えてる患者さんたちへ「僕はこんなに元気ですよ!」と話をすることでお役に立てるのであればと退院してからも時々病棟へ行き会話を楽しんだりしている。遠方から入院しに来ている患者さんへは面会者も少なく寂しいようだと聞いたので、時々面会に行って話をしたり、他の病院にも顔を出しては「おーい、どう?」とみんなと話をしていた。

9月9日。発病から一年経った。感慨深いもんだなぁ〜。長かったようで短かったようで、うまく言葉では言い表せない。「生きててヨカッタ!」そう思う。思えば、この一年の間にいろんな方々と知り合った。“戦士”とも言える友人が出来た。これからも僕の闘病は続く。どうそ、これからも皆さんよろしくね!

9月18日僕はこの日を忘れない。竜の死。
翌日は待ちに待った臍帯血移植の行われる日だった。竜はこの日をずっと待っていた。この日のために心も身体も準備をしてきたはずだった。
朝、竜のお母さんから「病院から呼ばれた」とメールをもらった。前の晩に姉貴から「竜君が心配だ・・・」とメールが来ていたので、俺はすぐに車で竜の病院へ向かった。
11時20分ごろ病院の駐車場に着いた。急いで無菌室へ行く。竜は眠っているように見えた。竜はいつも薄目を開けて眠る癖(?)あるから、いつものように寝ているようにしか見えなかった。でも、竜はもう目を覚まさないのだと、ご両親の号泣で理解した。
暖かい竜と二人きりでどのくらいの時間を過ごしただろうか。「よくがんばった、竜・・・」そう言ってやるしかなかった。息を引き取る5分くらい前までお茶を飲んで話をしていたそうだ。あっけない。信じられない。悔しい。やり場の無い怒りが込み上げる。なぜ、明日まで待てなかった!竜・・・。病気を蹴散らして、一緒にスキーに行きたかったよ。お疲れ様、お母さんとお父さんと妹さんを守ってやってくれよなっ、竜!

HPを見た方から立て続けに相談が来た。俺にできる事は何でもするよ。だから、みんなの命を助けてよ、神様。

少しずつ仕事を始めた。親父の店を手伝ったり、自分の店にも出てお客さんと話をしたり、外来での採血はまだまだ頻繁だけど体調はとても良い。最近生まれ故郷の長崎へ行きたいと思う。僕の生まれたのは長崎市(原爆病院)だけれど、田舎は諫早市だ。親父もお袋もいまだに長崎弁で会話をするから、田舎がそう遠い感じは不思議としない。でも、いつだろう最後に長崎へ行ったのは・・・。出来たらみんなで一緒に行きたいと思う、僕達の故郷に。


生きてると
墓参りができます。
もしかしたら
自分が入ってたかも知れないのに

姉貴あんがと!



竜の通夜の晩、ご子息がALLを発病されたと尋ねてみえた。僕と同じALLを発病した17歳のT君のお母さんは偶然にも竜の亡くなった日に姉にメールを出したそうだ。たまたま竜と同じ発症年齢だったのも偶然と言うには、あまりにも偶然過ぎて、姉は「これは竜君がT君を助けてやって!って言ってるんだと思った」と言っていた。その夜は貴姉さんと千田さんも竜を偲ぼうと来ることになっていたので、みんなでT君のご両親の話を伺った。
明日から抗癌剤が入る予定だけど、その前に『精子保存』は出来るんじゃないか?化学療法が始まる前に出来る事はしておきたいよね。寛解導入療法開始を午後からにしてもらって、午前中に精子保存することになった。そして、いろいろと僕達にアドバイスできることは思いつくことを全部話した。話し終わったのは夜中で僕がご両親を車で送って、自宅へ戻ったのは夜中の3時を過ぎていた。運転中も「きっと竜の願いだよね…!」そう姉貴と話した。
翌日、竜の葬儀中にT君のお母さんから「高熱が出ているけれど、これから寛解導入に入る」と連絡があった。それから数日後「髄膜炎」になってしまったと連絡があった。その後、T君はMRSA感染症、くも膜下出血、水頭症、能動脈瘤、骨格筋黄紋筋融解と次々に困難な症状に襲われたが、がんばっている!頑張るんだ!頑張れぇ〜!

NPO「ももの木」の“いのちの授業”に参加し講演をした。学校は狭山市の富士見小学校。僕の晴れ姿(?)を見に姉貴が上京してきたので実家から車で出かけた。少し早くついちゃったので近くのマクドナルドでコーヒーを飲んで時間調整しながら久しぶりにいろいろ話した。演台に立ち大勢の子供達の前で講演するなんて初めてだから緊張しちゃった。でも、最近の子供達は自殺やイジメの問題があったりして問題が山積みだと聞いているから、一人でも命について考えてくれたら嬉しいと純粋にそう思った。校長先生が申し訳なさそうにしていたのが気になったが与えられた時間をオーバーする事も無く自分的には初めての講演としては、なかなかの出来じゃなかったかなぁ〜?と思った。どうだったろう?
講演前に行ったアンケートに「もしも自分の命が残り少ないと言われたらどうしますか?」との質問に、いろんな答えが返ってきていた。ある子供は「貯金を全部遣いまくる」とあり、別な子供は「借金を返済する」とあった。資料を読みながらMilkyは声を立てて笑っていたが、笑っている場合かい?
でも、基本的には大人が期待する答えを書いている子供が多くて、将来の夢なども高学年となると現実的な職業が多かった。僕が小学生の頃は…何を考えていたのかなぁ〜?幼稚園の頃はバキュームカーの運転手になりたかったんだけど…なぁ。あの車がなんともカッコ良く思えたものだ。

善光寺にお参りに行った。ゴルフも復帰さっ!

髪の毛はグルグルの天然パーマになっちゃった。

11月22日は金沢の「白血病フォーラム」へ(/*⌒-⌒)o レッツゴー♪ 兼六園の紅葉は美しかったし、食べ物はおいしかったぁ〜。帰りは雪が降ったけど。

○込病院で非寛解の移植(AML)した○藤君が退院した。おめでとう。GVHDで下痢がひどかったらしいけれど克服したんだよね。恋人の○代さんと仲良く、これからも\(*⌒0⌒)bがんばっ♪ね。

12月19、20日は日本造血細胞移植学会「市民公開フォーラム」のお手伝いをしに横浜へ行った。会場に隣接しているホテルの中華料理店でおいしい食事をした。勧められたマンゴープリンもおいしかったね($・・)/~~~ 食べ終わって立ち上がったら姉貴から「Shin、ご馳走さまっ!」と言われてしまい僕の懐は寂しくなりました。
全国の諸先生方へお目に掛かり、なんかバタバタと忙しかったけれど楽しかった。主治医の神田先生も来てたし、婦長さんはじめ看護婦さんたちも来てた。HLA研究所の佐治先生ともいろいろ話をした。富山の患者さんご家族とも再会できて嬉しかった。
「骨髄バンクの集い」には急遽、辰ちゃんが患者代表でステージに立つことになった。緊張していたけど、やっぱ楽しいよ辰ちゃんのスピーチは!YAH♪☆0(^^0)*^^*(0^^)0☆♪YAH会場が湧くぜぇ〜V!
「いや〜、GVHDの「V」はversusの「V」だったんですねぇ〜」と頭をかきながら話す様子に会場から笑いが起こった。面白いスピーチだったなぁ〜。

横浜に住んでいる従姉妹のS子姉ちゃん宅にお世話になり、おいしいすき焼きをご馳走になって話もたくさんして来た。横浜の住宅街はクリスマスのイルミネーションがスゴイ家ばかりだった。(驚)

移植後300日をクリアしてスキーと温泉にチャレンジ!(^^)!

12月15,16,17、18日は親父と一緒に長崎へ行きました。念願のお墓参りでーす。感慨深い旅行だった。父親とこうして二人で墓参りに行けるなんて、あ〜嘘みたいだ。

4週間毎のマルクをして2003年の年末となりました。
正月用の餅つきをさせてもらい、大晦日には歳を越せることに感無量で友人達とお酒を飲み騒ぎました。
2004年もよろしくお願いいたしま〜す。

2月19日、おかげさまで移植から一年が経ちました。血液データ等、全て問題はありません\(~o~)/
やったぁ!刺身解禁です。伊豆の松陰で食べまくりましたぁ〜。やっぱ刺身はおいしいねぇ〜。

小児病棟のイベントでモジモジ君をしたり、荒川区の「いのちの授業」のお手伝い。そして5月27日には東京大学大学院医学系健康学科教育学での講義をしました。『患者支援ツールとしてのインターネット』という演題で初めてパワーポイントを使って講演をさせて頂きました。ドキドキでした。
5月30日、退院して一年が過ぎました。

仕事もどうにかこなしながらボランティアをしながら暮らしています。


    


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