HLA
HLA(Human Leukocytes Antigens)について


私がShinの移植選択肢を並べるにあたって、
いろいろな側面から調べたことをまとめてみました。
・HLAとは? 
・ShinとMilkyのHLA 
・両親のHLA 
・HLA予備検索
・母児免疫寛容 
・臍帯血のHLA 
・NMDP(全米骨髄バンク) 
・コーディネート状況を知る




 HLA とは?

HLAとは「ヒト白血球抗原」と言い、親から子供に受け継がれる自他認識のマーカーです。HLAはA、B、DR座それぞれに2つずつあり、骨髄移植をするには計6個の型が合わなくてはなりません。しかもそれぞれに種類があるので、組み合わせは膨大な数になります。
ちなみに血液型のA・B・O・AB型は赤血球の型です。
HLAの遺伝子染色体上にあり、両親からひとつずつもらうので2本で一対になっています。

A座 B座 DR座 HLAの遺伝子
父親 a b c d e f a-c-e & b-d-f
母親 g h i j k l g-i-k & h-j-l

子供 @ a-c-e & g-i-k
A a-c-e & h-j-l
B b-d-f & g-i-k
C b-d-f & h-j-l

子供は4個の組み合わせがあるので、きょうだい(兄弟姉妹)で一致する確率は25%となります。

※きょうだいが4人いれば、そのうちの誰かが必ず適合するというものではありません。
4人とも同じということもありえますし、4人とも違っているということもあります。

    



ShinとMilkyのHLA

Shinが白血病と診断後、「移植が必要」と言われて、すぐに私は自分のHLAの検査をしました。一方、ShinのHLAは発病時に血液中の癌細胞が90%以上あり、数度HLA検査を行いましたが判明不可能で、正確なShinのHLA結果が出たのは一ヶ月以上も経ってからでした。

Shin
A Locus A2 A26
B Locus B60 B61
DRLocus DR4 DR9

Milky
A Locus A2 A24
B Locus B60 B61
DRLocus DR4 DR9

見ていただくと分かる通り、A座がひとつ違います。

この時点で当時入院先のN大学病院の医師から「1座違いだから移植できるよ。おめでとう!T大学病院へ行って移植の日程を決めて来て下さい。」と嬉しい報告を受け、家族みんなで大喜びしました。父は泣いて母と抱き合って喜び、親戚、友人知人へ「おねえちゃんとの移植が決まった!」と電話を続けざまに掛け、その度に涙して喜んでいました。ところが、移植の日程を決めるため、喜び勇んでT大学病院へ行くと、このHLAデータを見た神田Drは「このHLAのデータだけでは、移植が可能かどうかは判りません。」と言うのです。最初は先生のおっしゃっている意味が理解できませんでした。「N大学病院の先生からは移植ができると言われて来たんです!どうしてですか?この検査結果だけでは不十分なのですか?」と尋ねました。奈落の底へ突き落とされた気持ちでした。血清学上HLAは6抗原の内、5個が表現上同じだが、遺伝子レベルまで一致しているかどうかは分からないので移植が可能かどうかは、このデータだけでは判断できないと言うのです。

=神田先生の説明=
数年前までは、血清学的なHLA検査しかできなかったので、一座不一致と判断して、そのまま移植を行う施設も多かったが、最近になり遺伝子レベルでのHLA検査が可能になり、より細かい判断ができるようになりました。そして、これまで一座不一致と考えられていた移植の中にも、遺伝子レベルでは二座、三座不一致の症例も含まれていたことがわかったのです。この、遺伝子レベルでの不一致が、どのくらい治療成績に影響するかは、今のところ不明ですが、バンクからの移植のデータでは、遺伝子レベルの不一致も成績に影響しているので、当院では遺伝子レベルの検査を行うようにしています。

結局、DNAタイピングの結果次第で移植の日程を決めることにし私とShinは検査のための採血をし、項垂れてN大学病院へ戻りました。病院へ戻ってからのShinは、姉の私が今まで見たこともないような怒りを表しました。ぶつけようの無い憤りだったのでしょう…。私も同じでした。
各病院で人命を左右する骨髄移植への基準が違うなんて…、恐ろしい…。こう思うのは私だけだろうか?T大学病院へ行って良かった。神田先生の話を聞いて納得した。骨髄移植とは、そんなに簡単なものではない。念には念をいれて充分に検討しなくてはならないのだから、より詳しく検査をして、より良い移植に望もうと気持ちを切り変えた。



発病から約2ヶ月目、DNAタイピングでの検査結果が出たが、残念なことに遺伝子レベルでB座61にも不一致があった。61(4002) vs 61(4006)つまり、私とShinの骨髄型は『血清1座+DNA1座の不一致』ということになった。ここでB座の61と言うのは両親が共有しているHLAだと分かった。両親がどちらも持っているB61を、Shinと私は父と母から別々にもらったものであると。改めて遺伝子レベルのHLA検査の重要性を知った。

=神田先生の見解=
血清1座+DNA1座の不一致がどの程度のriskかは、データがないためにわからないが、少なくともバンクのデータからはA、B座の遺伝子レベルの不一致もGVHDの発症に強く影響しているため、無視できないと思う。もし、バンクにHLA完全一致のドナーがいて、速やかに移植に運べるのであれば、そちらを優先するのが無難。(コーディネートに時間がかかりそうであれば、riskを覚悟のうえで兄弟間移植を行う必要がでてくるかもしれない。)

こうなったら、骨髄バンクで骨髄提供者を探してもらうしか方法は無い。

すぐに骨髄バンクへ患者登録するため、両親のHLAを検査した。

骨髄バンクの患者登録は家族ににHLA一致のドナーがいないことが条件だが、
年齢的に無理な場合や傷病などで提供が不可能な場合は登録可能。




両親のHLA

父親 母親
A Locus A2(0203) A2 A24 A26
B Locus B60(40) B61(40) B61(4002) B 61(4006)
DRLocus DR4 DR12 DR9 DR9

ここで、私達親子のHLAの検証をしてみると…

Shin Milky
A Locus A2 A26 A2 A24
B Locus B60(40) B61(4006) B60(40) B61(4002)
DRLocus DR4 DR9 DR4 DR9

父はA座が二つとも同じA2、

母はB座とDR座が二つとも血清学上は同じであることが分かる。

…と言うことは、母の祖父母も似たHLAを持っているんだなぁ、キット。


照合結果

A26 vs A24
B61(4005)
vs B61(4002)

の2座(母由来のHLA)が

相違していることが判明した。



HLAの予備照合

私は骨髄バンクのホームページの『HLA型照合サービス』でShinと同じHLAを持ったドナー登録者数を入力検索した。32名の登録者がいた。ついでに、調べてみたら、私と同じHLAを持った登録者は53名いた。(ちなみに私も登録者です!)
日本における移植では、クラスT(A座とB座)と、クラスU(C座とDR座)に分けるとクラスTのミスマッチは移植成績に影響を与える、というデータがある。しかし、アメリカは逆でクラスUのミスマッチのほうがデータが悪いということも知った。
と言うことは、少なくともShinはA座とB座は遺伝子レベルまで一致しているドナーを探さなくてはならない…。32名の登録者の中から見つかるのだろうか?




母児免疫寛容

主治医が雑談の中で、「お姉さんとのHLAは母児免疫寛容があるかもしれないなぁ〜。」とポツリと言った。「母児免疫寛容」???初めて耳にした言葉だった。早速「母児免疫寛容」について調べた。
友人の伝手でHLA研究所の佐治先生へ、両親と私とShinのHLAデータを分析していただいた。結果は、姉である私は患者である弟と「父親からのハプロタイプを共有し、母のハプロタイプを異とするNIMA相補同胞であり、有望なドナー候補です!」と回答を頂いた。説明内容は難しかったが、私が簡単に解釈したのは、Shinと私のHLA不一致の遺伝子(A26とA24)は二つとも母親の持つHLA(遺伝子)であり、私もShinも胎児の時に、同じ母親の胎内で約10ヶ月間育ってきた(胎内を共有したことがある)ので免疫の寛容性があるのではないか・・・、そんなふうに勝手に解釈した。(その時に、ふと思ったのだけれど、妊婦の"つわり"は一種のGVHDではないかしら?父親(ご主人?)の遺伝子をもつ胎児が胎内に入ったので、一種の拒否反応(?)がおきて、吐き気などの症状が出るのではないかしら?って。余談、余談。

しかし、HLA研究所の佐治先生からのメールに気になる文章を発見した。


骨髄バンクで検索すると、JMDP(日本)に32名、NMDP(アメリカ)に18名検索されますが、A2、26、B61、DR4などにアリル型(遺伝子型)多様性がありますので、コーディネートには時間が掛かるでしょう。


その時には、私には意味がよく分からなかったが、後日、HLAの型には遺伝子の頻度があることを知った。ちなみに私達が持つA2(A0203)は日本では頻度の低い(持っている人が少ない)珍しい遺伝子型で、A26、B61もDNAのバリエーションの多い型だということが分かった。



臍帯血のHLA

友人から名古屋で臍帯血移植をした成人男性の話しを聞いた。経過が良好で電話で話しをしてくれると言うので、喜んで電話をした。「えっ?僕の身長ですか?180pです。いえいえ、大柄ですよ、僕は。成人でも臍帯血移植はOKですよ。生着までに時間が掛かったけれど、現に僕は経過も良くって、もうすぐ退院します!」すこぶる元気な声だった。なんて勇気付けられるんだろう…。実際に移植をクリアした人の声を聞けたのは、何より嬉しかった。
そこで私は臍帯血移植も視野に入れて検討してほしいとN大病院の主治医へ打診したが、「だから、前にも言いましたが、臍帯血移植は成人には無理なんですよ…。」と医師は私に半分あきれた顔で言った。でも、私は実際に臍帯血で移植した○○君と話しをしたんだ!
「そんなことはありません!最近は成人でも臍帯血移植を行っており、成績も良いんです!調べて下さい。お願いします。」私は主治医へ頭を下げた。
臍帯血移植の話しをShinへ聞かせた。興味を持ったShinは私と一緒に臍帯血移植(CBT)の症例数が多いT大学研究所へI先生を訪ねた。「欧米では成人へのCBTは、確かに成績が悪いんですよ…なんでなのかなぁ〜。」先生は穏やかに話しをして下さった。「日本では治療成績がわりと良いのは事実です。何が違うのかわかりません。でも、まだデータとなるような症例数ではないんですよ。まだまだ、実験的な領域を越えない…。」そう前置きしてから、先生は更にに詳しく話してくださった。2002年11月現在でのCBT症例数の約20〜30%が成人へ行われていることや、70%は2座不一致の臍帯血での移植だということ。(臍帯血移植の場合は2座不一致の幹細胞でも移植成績に影響が無いと聞いて驚いた。)臍帯血は非血縁だがHLA不一致移植でもGVHDが少ないこと。しかし、臍帯血は往々にして細胞数が少ない。なので血球の回復が遅かったり、生着不全が高率におこることもあると、リスクも話して下さった。
「これ以上、欧米での成績が悪いとなると、日本でCBTは出来なくなるかも知れないなぁ〜」先生は最後に、そう言われたが、私たちには明るく希望が持てる話だった。
Shinも真剣に先生の話しを聞いていた。長い時間を割いて私たちの質問にも丁寧にお答え下さった。数日後、「もう一度I先生へ会いたい!」とShinが言い出した。(このときのShinの真剣な顔を私は忘れられない。)忙しい中、お時間を作ってくださり、Shinが納得の行くまで話しをして下さった。
HLA適合臍帯血の有無は日本臍帯血ネットワーク公開検索 http://www.j-cord.gr.jp/ja/search/でインターネット検索可能です。




NMDP(アメリカの骨髄バンク)

ボストン在住のNMDP(全米骨髄バンク)のメンバーのMさんと連絡がとれ、話しを聞いていただいた。
Mさんは過去に私と同じ経験をなさったことがあり、(妹さんへの移植が可能と言われた後に、DNAがミスマッチで、結局提供が出来なかった。)私が今までの経緯を話すと、電話口で涙声になられた。「妹が発病した時の私と同じ…。貴方の気持ちがよく解るわ!まるで、15年前の私みたい…。」そう言って、私と一緒に泣きながら話を聞いて下さった。
「迷っているのは解るけれど、そうしているうちに何もかも無くしてしまうかもしれないわよ。とにかく、NMDPへ登録して検索をはじめなさい!」と言われた。

NMDPは検体を保存してあるので、コーディネートが日本より短時間で可能なこと。NMDPにはアジア人の登録者が大勢いること。韓国バンクや台湾バンクにも日本人と同様の骨髄型を持つドナーがいること。しかし、保険が適用にならない患者負担金が膨大に掛かること。ちなみにNMDPでのドナーの検査費用は一人あたり日本円にして50〜60万円ほど掛かるという。Shinと血清学上同じHLAを持つドナーはNMDPに18名、その方々全員を検査してもらったら1000万円以上の金額になる。しかし、Mさんは続けた。「18名いても、全員を調べたりはしないわ、東洋人のドナーをピックアップするの。多分、数名に絞られるはず…。もし、海外から空輸して移植になったら、運賃は還元されるわ。」と、分かりやすく、丁寧に説明をしてくれた。

ドナーをNMDPで探す時間的猶予はあるのか…。私は迷ったが、両親へ話しをしたら、父が誰よりも先に「望みがあるのならば、アメリカで探してもらおう!」と言った。(このとき私はこの両親のもとに生まれたことに感謝した。)しかし、すぐにNMDPへ患者登録が出来なかった。
NMDPでドナーを探す場合、海外のドナーとの移植が認定されている施設の登録医師名ではないと受け付けてもらえないのだ。(現在は骨髄バンク認定施設であれば、どのこの病院でも登録、及び移植が可能になりました。)
その時点では日本の骨髄バンクへの登録医師はN大病院の主治医の名前だったので、NMDPに登録するとなると、登録医師名を変更してもらわなくてはならなかった。海外ドナーとの移植認定施設へ転院してからでないと、NMDPの患者登録すら出来ないのか…?私は医師に相談し、すぐにT大学病院のK医師の名前でNMDPの登録をして頂いた。
12月末までの間に、JMDP(日本骨髄バンク)で32名中、2名のドナー登録者の方がDNAタイピングをしてくださったが、結果は不適合だったと報告を受けた。正直言って、もっと大勢の登録者の方が検査をしてくれると思っていたが、それは甘い考えだった。
Shinは、私とのCampath-1Hでの移植に気持ちは固まりつつあったが、私はかすかな望みを掛けてNMDPでの緊急コーディネートに掛けてみることにした。どうしてもHLA・DNAオールマッチの治癒率の「%」の高さにすがりつきたかった。

1月6日、Shinは私とのミスマッチ移植「Campath-1H」へ挑むと決め、「ドナーを探すのをやめてほしい」と私へ言った。私は了解したが、Shinに内緒でドナー探しを続けた。
NMDPの担当者からメールがきた。K医師へ転送する。そしてK医師からメールの内容を説明しもらう。時差もあり、煩雑になるのでK医師へ直接NMDPの移植担当医師とのやり取りをしてほしいと申し出たら、快く引き受けて下さった。K医師は英語が堪能で素晴らしい医師だと改めて痛感した。
アメリカではクラスUを重視してコーディネートする。日本はクラスTを重視する。アメリカ人と日本人の移植成績の違いは「人種の違い」としか説明が出来ないと知った。K医師はNMDPの見解が日本人へ適用されない事などを何度もメールでやり取りして下さった。
HLA(遺伝子レベル)までの一致ドナー探しの難しさを、私は思い知らされた。主治医であるK医師がここまで一生懸命、一人の患者へチカラを注いでくれたことに、私は感謝の気持ちで一杯だった。

結局、NMPDでもドナーは見つからなかった。しかし、NMDPの関係者からも「日本にこれほど素晴らしい移植医がいるなんて知らなかった!」と知らせを受けた。NMDP最高幹部が「K医師を絶賛した。」とMさんから電話をもらった時、K医師の元で、移植を受けるShinには神様がついていて下さる!と信じた。主治医のK医師へは、お礼の言葉が見つからないほど深く深く感謝している。



コーディネート状況を知る


Shinのドナーをコーディネートしていただいている間
ドナー候補の方々とのコーディネートの進行状況が知りたくてたまらなかった。

家族の方の許可はもらえたのだろうか?
病院へは行ってもらえたのだろうか?
確認検査をしてくれたのだろうか?


2003年1月14日から、骨髄バンクの「患者問合せ窓口」で、
患者と家族は医師を経由することなく、
コーディネート状況を知ることができるようになりました。

どのくらいコーディネートが進んでいるのかをバンクへ直接聞くことが出来ます。


少しずつ、こうして変わって行き、患者と家族が納得して、
コーディネートに要する時間を待てるようになったことは幸いだと嬉しく思います。






HLAという白血球の型が合わないと造血幹細胞移植は出来ない。

でも、移植をしなければShinは助からない。

いったい、どのような方法が一番良いのか…

誰がドナーだと移植が成功するのか…

その答えは、どこに?

神様から私に“お告げ”でも来るというのだろうか…

そんなことを思う毎日だった。


可能な限りの選択肢を並べた結果

Shinは私との2座不一致移植に挑む決心をした。



HLA…その響きのなんと不思議なことよ…


Milky


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