無菌室を出て個室へ移り、同じ空間(部屋)に誰かと一緒に居れる幸せを、こんなに感じた事は無かったよ、不覚にも泣いてしまった。もう、ギリギリだったんだよ…、無菌室での生活は。 たったこのくらいで?なんて言われてしまいそうだけど、俺にとっては限界だったんだ。多分、心療内科の先生もそう感じたんじゃないかな?人と一緒に居れるって、幸せな事なんだよね。普通の生活をしてると、そんな事は感じないし、時にはうざったくも感じたりするんだけど、今の俺は「幸せ」ってことが分かる。 無菌室で聞いていた音楽は2度と聴きたくないからCDを全部持って帰ってもらった。無菌室で飲んでいたドリンク類も、ボトルやラベルすらもう見たくないよ。思い出したくない。思い出すと涙が出る。(イカン!涙もろくなっちまった…) 無菌室で隣の部屋だったWさんは、僕より一週間後に移植をしたから、もう少しかかるのかな?がんばってほしい。出血性膀胱炎で痛みに耐える様子が看護婦さん達の様子でよく分かった。とても痛そうだった。頑張れーー! そして、もうすぐバンクのドナーさんからの移植する辰ちゃんのことを思うと、胸が張り裂けそうになる。これから、俺と同じ思いをするのかと思うと可哀想で泣けてくる。完全に涙もろくなってきている。イカン・イカン…。 姉からFAXと手紙を渡された。いろんな方々から送られた応援の手紙だ。なぜ、今頃??? 「あのね、今まで隠してたんだけど、実はギリギリまでバンクでドナーさんを探してたんだよ…」と姉貴が謝ってきた。なんじゃ、それ? 「だって、Shinは『ドナーさんを探すのは止めて』って言ったから、その決心に水を差したくなかったし、尊重したかった。でも、私はオールマッチの移植をShinへさせたかったかったから、内緒で探してたのよ、ゴメン。」 なんだ、そんな事…。別にいいよ、もう。それにしても、なんで今頃、この手紙を渡すのか不思議だった。 読んでみて分かったが、皆さんから来た手紙に姉貴がギリギリまでドナーさんを探していた事が書いてあったのだ。無菌室で渡されても、あの吐き気の中では読めなかっただろうから、今、渡されて丁度良かったよ。多くの人達の応援で自分は頑張れたと思うから。みんなの気持ちが嬉しく、ありがたかった。ありがとうございます。本当にありがとう。
姉貴はこのFAXと手紙をいつ渡そうか悩んでいたんだろう。ホッとした顔をして帰っていった。 あまり、部屋から出てはいけないと言われるが、嬉しくてついつい出歩いてしまう。♪〜ルンルン〜♪ 次の目標は外泊。ところが、この外泊が意外な事が引っ掛かって『待った!』が掛かってしまったのだ。 子供達の予防接種だ。水疱瘡やおたふく風邪等の予防接種を子供が受けていないことが分かった。もしも、今、そんなウイルスに感染したら、一発で終わりだ。急いで接種させても接種後1週間〜10日間は子供のいる自宅へは帰れない。あ〜、なんてことだ…。カミさんの務める幼稚園では水疱瘡が流行っていると言うし…。デノシンで腎機能は低下気味だし…。こうなったら、実家へ帰ることにしようっと。 Wさんのご両親が無菌室の出入り口にいらしたので声を掛けたら、今からWさんが無菌室から出てくると笑顔で言われた。急いで辰ちゃんへ知らせて、一緒に待っていたらWさんは車椅子で出てきた! パチパチ…「おめでとう!良かったね〜V(^0^)」ご両親もすごく嬉しそうだ。 以前に僕がいた個室へ入るんだって。みんな早く良くなって酒飲みながら同窓会したいね〜。 S子姉ちゃんが横浜からタコ焼とお好み焼を抱えて来てくれた。(すごく大きな紙袋に紙皿から割り箸、紙コップまで抱えてきてくれた。うひょ〜。まるでピクニックだね。 病院のパントリーで(患者さんが食事をするところ)電子レンジを拝借して、ホクホクのタコ焼とお好み焼きを食った食った食った! 100個はあったんじゃないかな?お好み焼きも、スッゲー美味かった!関西のお友達が焼いてくれたらしい、本場の味だぜ!イェ〜イ V(^0^) パントリーに来る患者さん達が、物珍しそうに見ていく。皆さんへお裾分けしたいところだが、そうも行かない。(すいませ〜ん) お腹が張り裂けそうになるくらい、食べた。辰ちゃんも一緒に食べたが、「まさか病院でタコ焼とお好み焼きがこんなに食べれるとは思ってなかったよ〜」と、ニコニコ顔だった。 辰ちゃん、これからの移植を乗り切るためにも『タコ焼パワー』だぁーー!(ホント?)しかし、この数のタコ焼を何時間かけて焼いてきたんだろう?感謝感謝!m(__)m 残念な事が起こった。無菌室で隣だったWさんが亡くなった。俺はWさんに会いたいとご両親へ伝えた。困惑された顔をしていらしたが、「Shinさんが嫌じゃなかったら会ってやって下さい。」と言って下さったので、別れを言いに行った。「なんでだよー!」悔しいよ。 Wさんの奥さんやご両親とは姉貴も俺の家族みんなが仲良くしてもらっていた。 Wさん、お疲れ様。長かった治療が終わってホッとしたね、よく頑張ったよ。富士山の見える故郷へ帰ってゆっくり眠ってね…。 でも、残念だ…。一緒に闘ってきたのに。これからも一緒に闘って行きたかったのに。 僕はがんばるよ、Wさんの分まで…。 辰ちゃんは泣き崩れてた。「泣くなよ。君はこれからWさんに見守られて移植を乗り切るんだよ。」 俺は祈った。いろんなことを祈った。 病棟の廊下に“絵を飾るボランティアを募集しているよ”と姉からメールがきた。 NPOの「ももの木」のボランティアの方々が病棟に絵とリハビリ用の階段を設置するとHPに書いてあったので、手伝ってあげて!と姉貴が言ってきた。 もちろん!(^-^)/ 辰ちゃん夫妻と手伝う事にした。 「ももの木」のボランティアの方々はこの5階の無菌病棟と14階の血液内科の病棟に飾る絵をたくさん持ってきて下さった。リハビリ用の階段は最上階(・・・と言っても3段しかないんだけどね)に上ると僕の身長じゃ天井に頭がぶつかりそうで、何処に設置すればいいか皆で悩んでいた。 姉貴も遅れて来たが、もう作業は完了していた。終わっちゃったよ〜ん。殺風景な廊下が美術館のようになって良かったね〜(^-^)/いろんなボランティアがあるのだと感心したよ。
髄注(ルンバール)を2週間あけて2回終われば退院の目処がたつと言われたが、僕は髄注がやりたくない。髄注でMTXを入れると、せっかく上がってきた白血球は数値が下がるし、回を重ねるたびに腰の痛みが長引くようになったし…。 しかし、PH+/ALLは髄膜炎の再発が多いらしいので、“予防できることはしておこう”と言う主治医の方針に納得した。でもさ、他の病院の患者さんはあんまりしないらしいよ、移植後の髄注。 やった〜o(^▽^)o ♪数回の外泊を繰り返して、サイトメガロに邪魔されながらも、移植から100日目の記念すべき日に退院決定だぁ!5月30日移植後100日目。俺の中の予定通り、退院。o(^o^)oワォ! ヤッター!自分に「おめでとう」を言っちゃうぞ!
|